”フェルメールはこんな画家”と題して、作品の素晴らしさを探りました。
彼の作品には誰でも惹かれますが、「作品のどこが素晴らしい」のかと問われると困ってしまうのでは?
そこで「フェルメールの企て」と「その背景」をたどりました。
絵画を嗜む方の参考になれば幸いです。
目次
フェルメール作品/なぜ素晴らしいのか
ヨハネス・フェルメール 1632年ー1675年 享年43歳
フェルメールはオランダの画家です。
オランダの画家と言ってもピンとこないと思いますが、同じ17世紀の画家・レンブラントや、19世紀の画家・ゴッホもオランダ出身です。
とは言え、オランダは芸術ではメジャーな感じがないので、まずそこら辺から辿っていきます。
フェルメールが生きた時代
フェルメールが生きた17世紀は、まさに大航海時代です。
ヨーロッパ諸国が、新たな富を求めてアジア・アメリカ・アフリカに進出した時代でした。
ポルトガル、スペインが先鞭をつけ、オランダ、イギリスなどが続きました。
日本が鎖国時代に長崎の出島などで貿易した国々ですね。
ちなみに、このフェルメール作品で天文学者が着ているガウンは、日本製の綿入りの打ち掛けだそうです。
オランダは寒いので重宝されたとのこと。
少し話がずれました。😀
オランダは1588年に共和国として独立しています。
そのため、オランダの独立後は王侯でなく富裕な市民が社会の中枢を担いました。
またオランダ共和国の宗教は新教であるプロテスタントでした。
プロテスタントは旧教(カトリック)と違って教会内に宗教画を飾らないようです。
そのためオランダでは、王侯貴族や宗教家といった、大口の絵画の固定客を期待できませんでした。
そんな状況にありましたが、この国では裕福な市民社会を背景に、画家の数、作品数ともに驚くほど多かったと言われています。
17世紀オランダでは500万点ほどの絵画が制作されました。
そのため、当時の画家たちにとっては、「いかに購買者の関心をひくテーマを選択するか」が最大の課題でした。
フェルメールの生涯
1632年10月31日:オランダのデルフトで生まれました
彼の少年期に両親は宿屋兼画商を営んでいました
1647年(15歳):絵の道に進むことを決意します
デルフトを出て6年間、絵の修行をしています
1652年(20歳):英蘭戦争が勃発、絵画需要が落ち込みます
1653年(21歳): 4月に結婚
同年12月には画家として独立し、当初は、物語画家を目指しました
1654年(22歳):フェルメールが住んでいたデルフトが、火薬庫の大爆発で壊滅的な被害を被ります
一層、絵画需要が落ち込みます
1656年(24歳):需要の見込める風俗画家に転身
1663年(31歳):頭角を表し、街を越えて名声が広がりました
1670年代:
列強諸国が力を付け、オランダにとって脅威となり始めました。
それに伴い、絵画の需要がさらに落ち込み、フェルメールは再度自分のとるべき道を模索することになります
1675年(43歳):健康を害して亡くなりました
※年齢は参考までに付けています。誕生日の関係で1歳前後する可能性があります。
フェルメー作品の素晴らしさ
上述の通り、フェルメールはオランダにおいて大変厳しい競争下で画家活動をしていました。
結果として、そのことが彼の「モティーフや画風の選定」に大きな影響を与えています。
フェルメール作品の特徴
フェルメール作品の現存数は諸説ありますが、最も支持されている数は33点です。
- 物語画:2点 (神話・宗教画や歴史画)
- 都市景観画:2点
- 寓意画:4点 (教訓や風刺)
- 風俗画:25点
フェルメールの作品の特徴は次のように評されています
- 選び抜かれたモティーフ
- 計算しつくされた形と色
- 徹底した細部の再現
- まばゆい反射光と明瞭な照射光の描写
- 緻密に組み立てられた構図
以上のことから、フェルメールは単に自身のセンスだけで描いた画家ではないと、理解していただけると思います。
また、
- 作風は、三原色を多様した濃厚な色遣いから淡い色へと
- 構築的な筆使いから滑らかな表面処理を経て省略的な筆使いへと
時代の方向性に沿って変化させています。
当時の絵画界は
「ある構図が評判を呼べば、似た構図の作品が複数の画家によって繰り返される」
という状況化にありましたので、フェルメールも一画家として自然に身についた選択であったようです。
幾何学的遠近法について
ここで、フェルメール作品の特徴の一つである幾何学的遠近法についてご紹介します。
この絵では、女性の視点が注がれるところ、天秤をもつ右手の指のあたりに、遠近法の消失点が設定されています。
また、ここを目指して窓からの薄明かりが差し込んでおり、さらに、背景の画中画の角もこの点に位置しています。
すなわち、遠近法の消失点が、構図構成上の基点であると共に、絵のテーマを強調する部分になっています。
視線誘導に驚くべき配慮がなされています。
この天秤はコインの重さを測って悪貨を見分けるためのものです。
フェルメールの描く女性は、特徴ある顔の人が多いですが、この女性は清楚で美しいですね。
初期の物語画に見る特徴
下の作品は、物語画2点のうちの1点です。
初期の宗教画であり、一般の宗教画のように160✖️142cmと大きな作品です。
ただし、当時のオランダでは物語画の需要は少なかったようです。
フェルメールにとって、この時期は未だ周囲の動向を探りながら描いていた時ですが、すでに後につながる次のような特徴が見て取れます。
- 赤、青、黄の三原色と白に重きを置いて描いています
- モティーフの数を限定しています
22〜23歳頃の作品ですが、すでに大器の片鱗が見て取れます。
風俗画への転身と特徴
風俗画とは、宗教上の人物などではなく、一般の人物を描いた作品です。
当時は、風俗画や静物画は腕の高い画家がたづさわるものではないとされていました。
しかしフェルメールは早くから需要の見込める風俗画家に転身しています。
驚くことに、フェルメールの風俗画には、初期から次のような独自の個性、味わいがありました。
- 濃厚な色彩
- 巧みなそれらの組み合わせ
- 少ない数のモティーフ
- 光の鋭敏な観察と光の現象の極端化
- 心理的効果を生むような構図
また、フェルメールはあくまで質の向上を重視していました。
当時の画家たちは携わるジャンルを専門家し、効率的な腕の向上と制作を狙っていましたが、フェルメールは違っていました。
例えば、フェルメールは空間の切り取り方を工夫し、二つと同じ構図を繰り返さいようにしていました。
ブランドは同じ味わい、型を守ってこそ価値が出るわけですが、彼はあえて作品にヴァリエーションを持たせました。
それでは、私が好きな風俗画作品をいくつかご紹介します。
作品「窓辺で手紙を読む女」26〜27歳制作
手紙のテーマは、当時高い人気がありました。
フェルメールも同様のテーマでいくつか描いています。
なお、キューピットが描かれた画中画は後の修復の際に見つかったものです。
この作品では、点描で反射光を捉える技法を用いて描いています。
ちょっとわかりづらいですが、果物や人物の陰の部分の表現を見ると理解しやすいかと思います。
さらに、ベットにかけた織物など、質感の描写が一段と細やかになっています。
左手前の緑のカーテンは、女性のプライベートを覗き見るような効果があると言われています。
まさに心理的な効果を生むような企みが配置されている絵です。
作品「牛乳を注ぐ女」26〜27歳制作
フェルメールの代表作の一つです、
色彩と形と構図の力によって、見るものを強く捉えて離しません。
1656年に風俗画を始めて、わずか2〜3年で試行錯誤の上ここまでたどり着きました。
制作当初は、後ろの壁に大きな地図が、行火(アンビ)のあたりには布がたっぷりと入った大き目の籠が描かれていたそうです。
それらを取っ払って単純化しています。
単純化というのは、絵から目を惹きつけるものを減らすことなので、画家にとってかなり勇気のいることです。
ところで、この絵の消失点は女性の背後の強く光が当たっている部分にあります。
そのため視線は、まず「ごちゃっとしたテーブル上ではなく女性の背後のあたり」に惹きつけられ、それからゆっくりと窓の方向に流れていきます。
穏やかな1日が演出されています。
さらに、こんな配慮がなされています。
- 窓に近い壁を暗く、窓から遠い壁を明るくして対比させています
- 三原色とその近似色、それに緑と白だけを用いています
- 黄と青の補色関係を利用して色の印象を強めています
- 青の絵の具が褐色の素焼きの甕、平鉢、白い牛乳に飛び散っており、エプロンの深い青の残像効果を与えています
さまざまな効果が重なりあって、素晴らしい作品になっていることが窺えます。
この作品は風俗画ですが、その精神性の深さから宗教画とも言える作品です。
作品「音楽の稽古」30歳頃の制作
この作品は、
- 空間の切り取り方
- 通し法の設定、消失点の位置
- モティーフの選択
- 選択されたモティーフ相互の空間の関係
など、全てにおいて完成度が高いと評されています。
ここでは、消失点はピアノをひく女性の右腕付近にあります。
ゆったりとした奥行き感の中で、女性と先生らしき男性に焦点があたるようになっています。
男女の関係のような気配が漂っています。
「濃厚な色彩と描法で描かれた、手前の机を覆うタペストリー」と「滑らかな塗りの穏やかな色彩の壁」が混在・対比されて、絶妙な緊張感を放っています。
かなり高度な対比の妙ですね。
作品「真珠の耳飾りの少女」33〜34歳制作
この作品は、トローニーという名で分類されます。
トローニーとは、不特定の人物の胸あたりから上を描いた作品のことです。
一方、特定の人物を描いたのが肖像画と呼ばれます。
この絵は、フェルメールの最も勢いのあった時期の作品であり、「大きな濡れたような目、半ば開いた口」は人物の瞬間を捉えた生々しさがあります。
フェルメール作品の中では最も有名な作品ではないでしょうか。
フェルメール作のトローニーは2点残存しており、これはその1点です。
この作品には、こんな色使いがされています。
黄、青、白そしてポイントに赤というシンプルな色使いです。
そして、
- 明るい箇所は彩度の低い白っぽい黄色
- 中間の明るさの箇所は、彩度が高い鮮やかなオレンジ
- 暗い部分には、彩度がやや高い、やや鮮やかな青(補色)
実は、この配色は光学的理論に基づいた、最も自然に見える光の設定だそうです。
古典絵画でも用いられてきた配色です。
いわば黄金配色とも言えます。
最後に
最後になりますが、
フェルメールがデルフトの街を描いた風景画2点が残されています。
フェルメールは、決してデルフトを長い間離れることはありませんでした。
デルフトはオランダの真珠と言われるほど美しい町でしたが、火災や爆発事故で17世紀の半ばには下の絵のような中世の建物はほとんどなくなっていたと言われています。
この絵は古き良きデルフトを偲ぶ作品で、平面的な構図で描かれています。
風景画の場合は、遠近・奥行きが重要視されますが、あえて平面的な構図を選んだのではと評されています。
どっしりとした重厚感がありますね。
作品「小路」26〜27歳の作品
※このページの作成にあたっては次の本を参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
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最後までお付き合いいただきありがとうございました。
フェルメールの凄さの一端でもお伝えすることができましたら嬉しいです。
こんな風に、これまでにいろんな画家や作品を紹介しています。
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