”スーラはこんな画家”と題し、スーラの魅力の原点を探ります。
スーラは洗練されていて素朴、古典的でプリミティブ、保守的で革新的と評されました。
こんな評価を冠する画家をもっと知りたくないですか?
彼の生い立ちや点描画の魅力・描き方などを解説していきます。
点描画家・スーラの魅力を探る!
ジョルジュ・スーラ(1859/12/2-1891/3/29) 31歳没
私は、画家の生い立ちに結構興味を持っています。それは、画家の生い立ちが作品に少なからず影響を与えていると思うからです。
特に、スーラは31歳という若さで亡くなっています。
それだけに、スーラの「絵画」を知るには彼の「生い立ち」を知ることが大切だと思います。
簡単ですが、まずスーラの生い立ちをたどります。
スーラの生い立ち
スーラはパリのブルジョワ家庭に育ちました。
兄弟には歳の離れた兄と姉がいました。
一家はスーラが3歳の時に10区にあるマゼンダ大通り沿いの建物の4階に引越しました。
マゼンダ大通りは、パリの大改造で生まれた幅広い通りで、両側には同じ高さの石造りの建物が並ぶ美しい通りです。
いわばブルジョワのために誕生した街です。
私も個人的な旅でパリを何度か訪れたことがあります。
パリ全体がそんな感じなので、ここが「マゼンダ通りか」というほどの感慨はありませんでした。
この写真は9区で見かけた風景ですが、マゼンダ通りもこんな場所です。
ガイドさんに聞くところでは、こういった建物は現在も大変人気があり、高級住宅だそうです。

ところで、
スーラの父は法律関係の仕事をしていましたが、不動産投機でも成功を収めていました。
父は資産を蓄えた後、若くしてパリ郊外に隠遁します。
父は「俗物」であり、子供たちに対しても冷淡な距離をとる人でした。
しかし、父の資産のおかげでスーラは経済的に独立できました。
母は、パリに生まれて職人の家系で育ち、母方の叔父にはアマチュア画家がいました。
また、姉の夫はガラス工場を経営する技師。
そのため、家庭的に美術・工芸に理解がある中で育ちました。
スーラは物心の両面で芸術に進むべきして進んだといえるでしょう。
スーラはアカデミックな教育を受けるために国立の美術学校「エコール・デ・ボサール」へ進みますが、それは一年あまりで兵役によって中断されます。
一年後にパリに戻りますが、学校には通わず、それ以降も誰かの元で学ぶこともありませんでした。
しかし、スーラは本格的に画家の道を歩み始めました。
その当時、パリの芸術界は印象派の時代でしたが、ややそのカゲリが見え始めた頃でもありました。
スーラも強く印象派の影響を受けた画家の一人ですが、点描画によって新たな世界を築くことになります。
スーラは手間と根気を要求される点描という作業を毎日繰り返し、パリ近郊の洗練された風景を絵にしました。
職人気質の母親の家系を引き継ぎ、モダンな都市パリに育ったスーラにとっては自然なことだったのでしょう。
一方で、スーラは当時の芸術運動の最先端である新印象派の主導的画家でもありました。
彼の中にアカデミズム(伝統)とアヴァン=ギャルド(前衛)の両極をもたらした背景は、芸術とはかけ離れ「俗物」と称された父親にあるのかもしれません。
ちなみに、スーラは寡黙で内省的であり、私生活については秘密主義を貫く人でした。
母親でさえ、彼が亡くなる直前まで彼に内縁の妻と息子がいたことさえ知らなかったと言われています。
スーラの絵画史
素描のスタイルを確立したのは1882年(23歳)頃で、素描で1883年のサロン展に初入選しています。
翌年(1883年)に最初の油彩の大作そして名作である「アニエールの水浴」(2m✖️3m)に着手しています。
この作品では、目立った点描はなく、こんな画法が使われています。
- 人物の肌などは伝統的な技法で
- 草地や樹木は交差する筆触で
- 水面は印象派風に水平に並ぶ筆触で
すでにスーラの世界が出来上がりつつありますね。
スーラ作品の中で、私が最も好きな絵です。
しかしこの作品は1884年のサロン展に出品するも落選し、同年のアンデパンダン展に出品しました。
この絵は、セーヌ川で水浴を楽しむ労働者階級の若者を描いた作品です。

アンデパンダン展とは
1884年にスーラやシニャックらによってパリにアンデパンダン美術協会が設立されました。
協会が開催した展覧会は、保守的な審査のサロンに対抗して、審査を受けることなく誰でも自由に出品し、作品の評価を来場者に直接問うことができるものでした。
現在も受け継がれています。
1884年(25歳)の時に、次の大作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(2m✖️3m)に着手しています。
この作品は、1886年の第8回印象派展(最後の印象派展)に出品して話題になりました。
この島はセーヌ川の中洲でパリ近郊にあります。
この絵には、当時の特権階級たちが優雅に休日を楽しむ姿が描かれています。
この絵では、「アニエールの水浴」にみられた伝統的な技法はなくなり、こんな画法が使われました。
- 人物も形態に沿って並ぶ短い筆触で
- 草地や樹木は交差する筆触で
- 水面は印象派風に水平に並ぶ筆触で
この絵には「隣接する色はお互いの補色を帯びて見える」という反射の原理も使われています。
例えば、オレンジを見てから黄色を見ると、オレンジの補色である青が黄色に重なって緑っぽく見える仕組みです。
さらにスーラは、太陽光を表すオレンジとその補色である青を与えるために、完成した作品の上に点描を加えています。
鮮やかな色彩を多用しながらも、こういった効果によって落ち着いた午後の1日を表現しています。
また、人々の姿はエジプト美術のようでプリミティブに感じられますね。

点描が本格的に用いられ始めるのは1885年夏の海景画からと言われています。
この作品は、1886年に製作した作品「救済院と灯台、オンフルール」です。
小作品(65✖️81cm)ですが、本格的な点描画作品です。

スーラは1991年3月に31歳で亡くなるまでの、ほんの10年ほどの間に6点の大画面の油彩画を残しています。
その他には、油彩画60点、クロクトン(油絵下絵)約170点、そして約230点の素描が残されました。
ちなみに、クロクトンとは習作のことです。15cm✖️25cmほどの板に描かれています。
スーラは大画面を制作するに多くの習作や素描、時にはやや大型の油絵を制作していました。
スーラの点描画の描き方
クロード・モネなどの印象派の画家たちは絵の具を混ぜることで色彩が濁ることを嫌い、自分たちの印象を原色を用いて荒いタッチで描き止めようとしました。
スーラはもっと客観的な芸術を目指しました。
色彩を分析して色の点に置き換え、鑑賞者が絵画を見た時にその点が視覚混合を起こすことを狙いました。
点描技法は、非常に緻密であり、それだけに機械的なイメージを持たれがちです。
しかしながら、スーラの点描法は必ずしも均質な点ではなく、重なったり、方向性を持ったりしており、それが絵画の価値を高めています。

この作品「ポーズする女たち」(2.0✖️2.5m)をもとに、若干ながらスーラの描き方を解説します。
スーラはまず油彩で下絵を制作します。
それに基づいて、新たなキャンバスに輪郭を描き、下塗りをした後に点描を加えています。(後になると下塗りをしなかったようで、白の地塗りが残っていることがあるとのこと。)
この絵の主題である女性の肌の部分は次のように描かれています。
スーラはまず身体の部分に固有色に近い色を大まかに塗り、その上に少し濃い肌の色をした点をばら撒いています。
その後に、光を表すオレンジ系統の点が、影からハイライトに向けて徐々に、その密度と白の混合率を増やして配置されたと考えられています。
一方、オレンジの補色である青系統の点は、影からハイライトに向けて白の混合率が増えていきます。
絵の具には白以外の絵の具を混ぜていません。
点の密度は反対に影で多くハイライトに向けて減少していき、影の部分の濃い青の点は小さめです。
点と点の隙間を埋めるように描いたり、他の点の上に重ねており、機械的なイメージを和らげています。
絵の具を混ぜると色は濁りますが、色の光を混ぜると明るさを増すという法則を利用しています。
また、補色を混ぜるとグレーになりますので、先ほどの「隣接する色はお互いの補色を帯びて見える」の理論から、視覚上で影の部分にグレーを表現しています。
「鮮やかではあるが、グレーっぽい」、こんな正反対の色を視覚上で再現したのでしょう。
視覚混合を利用して見事な質感を生み出した、スーラの企みに感服します。
私も、どこかで使ってみたいものです。🤗
点描画の追随者
1880年代に印象派は「危機の時代」を迎えていました。
そのため、1880年代後半に登場した点描は刺激的なスタイルとして多くの追随者を生んでいます。
しかし、スーラ自身は追随されることを喜んではいなかったようです。このような言葉を残しています。
「仲間の数が増えればオリジナリティは減るだろうし、皆がこの技法を使う日が来れば価値は失われ、これまでもそうであったように何か他のものが探し求められるであろう」
実際、次の時代が来るまでに、それほど年月はかかりませんでした。
ゴッホの点描画 「レストランの室内」1887年
彼の場合には画面全体を点描で覆い尽くすということはほとんどなく、部分的に用いていたり方向性を持っていたりしています。
やがて、あの有名な「線がうねる表現」になっていきました。

ピカソ「幸福な家族」1918年
ピカソもこんな絵を描いています。
新印象派の時代から遥か後、キュビズムの時代に描かれた作品です。

最後に
最後まで大好きなスーラにお付き合いいただきありがとうございました。
私は、印象派も好きなのですが、最近はどちらかというと「印象派が変わりゆく時期」が大好きです。
「アルフォンス・ミュシャ」や「アンリ・ル・シダネル」もスーラと同年代ですよね。
印象派のギラギラした太陽の光よりも、優しい影が今の時代にはあっているのかもしれません。
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Youtubeもやっています
「風景画の旅」と題し、日本や海外の風景と、自作の風景画を動画にして、Youtubeにも投稿しています。
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絵になる風景が見つかりますよ。