”なぜ画家たちはブルターニュへ”その魅力は?どんな作品?

なぜ画家たちはブルターニュへ

”なぜ画家たちはブルターニュへ”絵を描きに訪れたのか?

19世紀から20世紀初頭に、多くの画家がブルターニュに滞在し絵を描きました。

フランスには魅力的な所がたくさんあるのに、なぜブルターニュなのか。

どんな絵を描いたのか。

2つの展覧会を参考にまとめています。

画家たちを惹きつけたブルターニュとは!

期せずして、次の2つの展覧会を観る機会がありました。

国立西洋美術館:憧憬(しょうけい)の地 ブルターニュ
モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷

SOMPO美術館:ブルターニュの光と風
画家たちを魅了したフランス<辺境の地>

これらの展覧会で、「多くの画家たちがブルターニュにあこがれ、惹きつけられたこと」を知りました。

なぜそんなに、ブルターニュに惹きつけられたのでしょう?

残念ながら私はブルターニュへ行ったことはありません。

しかし、ノルマンディ地方やパリにストラスブール、そして「マルセイユ・ニースなどの地中海沿いの地域」には訪問したことがあります。

どこも大変素晴らしい場所でしたので、絵描きの端くれとして「ブルターニュが画家たちに選ばれたこと」に大変興味が湧きました。

このページでは、私の知り得た範囲ではありますが、そのあたりを深掘りしていきます。

なぜ画家たちはブルターニュへ
SOMPO美術館

新たなモティーフを求めて

長い間、ヨーロッパで絵画といえば宗教画でした。

しかし、19世紀になると新しいモティーフが求められるようになりました。

ちょうどそんな頃に、ロマン主義文学において、ブルターニュは「未知なる土地」や「異郷」として紹介され、画家たちのエキゾチズムをかき立てました。

ブルターニュは、フランス北西部、ヨーロッパ大陸の北西に突き出た半島にあります。

この頃にパリからブルターニュ半島に向けて鉄道が通ったため、多くの画家たちがブルターニュを訪れるようになりました。

ダイナミックな自然の魅力

ブルターニュの海岸は、大半が崖からなるリアス式海岸で、非常に入り組んだ形状です。

ダイナミックで美しいブルターニュの海の風景が、画家たちを惹きつけたようです。

私がフランスで訪れた他の地域と比べると、確かにダイナミックさが優っているように思います。

展覧会では多くの海景画に出会いました。

なお、ブルターニュの内陸部には平原や森が広がっていますが、画家たちはそんな風景も気に入って絵にしています。

なぜ画家たちはブルターニュへ
ブルターニュのリアス式海岸
なぜ画家たちはブルターニュへ
ブルターニュの農村風景

繁栄した街の魅力

ここは、かってはブルターニュ王国、そしてブルターニュ公国という独立国でした。

1532年にフランス王国に併合されて州になりました。

ブルターニュはスペイン、イングランド、オランダの海路上に位置することから、15世紀から18世紀にかけて大変繁栄していました。

そのためブルターニュには、膨大な量の中世建築物があります。

今も、小さな村や町、都市で城やハーフティンバーの住宅を見かけることができます。

なぜ画家たちはブルターニュへ
ハーフティンバーの住宅
なぜ画家たちはブルターニュへ
中世の街並みが残るブルターニュ

強いアイデンティティの魅力

ブルターニュでは、今も多くの人が、フランス人であると同時に、ブルトン人であると考えているとのこと。

1960年代と1970年代には新たな文化復興運動が起き、ブルトン語とフランス語で授業を行う二言語学校が開校しています。

このようにブルトン人たちは、強い文化的アイデンティティを持っています。

19世紀初頭において、急速に近代化が進むフランスにあって、ブルターニュは素朴な生活や伝統的な風習、敬虔な信仰心が色濃く残る、ほとんど唯一の地域でした。

画家たちは、そんな一面にも惹かれました。

彼らは、ブルターニュの婚礼や村の祭り・宗教行事、そして民族衣装をまとった人々などを好んでモティーフとしました。

なぜ画家たちはブルターニュへ
コワフ(頭巾)をかぶる女性たち

ブルターニュを描いた作品を紹介

作品には統一した画風はなく、古典絵画的なものから、印象派、ナビ派といった様々な画風で描かれています。

ポン・タヴァン派という、現地で生まれた画風もありました。

ポン・タヴァン派
ブルターニュの小さな村に、ポール・ゴーギャンを中心とする集まりができました。
それは、ポン・タヴァン派と称されました。
彼らは、印象派の細かな色のタッチとは違い、対象を輪郭線で囲みマットな色面で描きました。

 

展覧会(特にSOMPO美術館)では、多くの作品が撮影可能、個人的に利用可能でしたので、いくつかピックアップしてご紹介します。

ブルターニュの自然

クロード・モネ
ポール=ドモワの洞窟

流石にモネです。実物には圧倒的な存在感がありました。

モネはバンヌ沖の島・べリールに滞在してこの絵を描きました。

モネはべリールの変わりやすい天候と海の風景に魅了され、連作にしました。

なぜ画家たちはブルターニュへ
モネ「ポール=ドモワの洞窟」

アンドレ・ドーシェ
ラニュロンの松の木

この景色はカンペールを経由して大西洋に注ぐオデ川の眺めです。

松の木立には日本の浮世絵の影響が見られます。

日本画のような透明感があります。

ドーシェはオデ川の風景を好んで描きました。

なぜ画家たちはブルターニュへ
ドーシェ「ラニュロンの松の木」

ブルターニュの街、暮らし

アンリ・モレ
ブルターニュの風景

黄土に覆われたブルターニュの広大な大地を描いた作品です。

手前の「絵の大半を占める地面」と「道端の草」のコントラストが印象的です。

なぜ画家たちはブルターニュへ
モレ「ブルターニュの風景」

リシュアン・シモン
じゃがいもの収穫

ビグダン地方のパンマールの農民が、じゃがいもを収穫している光景が描かれています。200号ほどの大型作品です。

ビグダン地方は貧しい地域であり、痩せた土地でも育つじゃがいもは、貴重な作物でした。

印象派の影響を受けて、明るめの色使い、大ぶりのタッチで描かれています。

なぜ画家たちはブルターニュへ
シモン「じゃがいもの収穫」

ブルターニュの文化

リュシアン・シモン
ブルターニュの祭り

シモンはブルターニュの婚礼やバルトン祭の縁日など、庶民の生活を自然主義的な態度で描きました。

色合いが明るくて、綺麗です。

なぜ画家たちはブルターニュへ
シモン「ブルターニュの祭り」

モーリス・ドニ
フォルグエットのバルドン祭

ドニは自身も熱心なカトリック信者であり、毎年9月に行われるこのフォルグエットのバルドン祭に強い関心を持ち、ほぼ毎年のように通ったと言われています。

これは、祭りの最中に行われるミサの一場面です。

なぜ画家たちはブルターニュへ
ドニ「フォルグエットのバルドン祭」

ブルターニュの女性

リュシアン・レヴィ=デュルメール
パンマールの聖母

背景には、海に突き出たハンマールという町の海岸の風景が描かれています。

手前の親子はビグダン地方の民族衣装を着ています。

大変、印象的な絵ですね。

なぜ画家たちはブルターニュへ
デュルメール「パンマールの聖母」

マックス・ジャコブ
ふたりのブルターニュの女性

ジャコブはブルターニュのカンペール生まれで、ここに家があり、パリと往復しながら制作しました。

パリのモンマルトルでは、ピカソ他と交流しています。

本作では、コワフ(頭巾)を被る二人の女性が、港町を背景にポーズをとる姿を描いています。

二人の女性は、その地域に伝わるコワフを被っており、まるで自らのアイデンティティを誇示しているようにも見えます。

なぜ画家たちはブルターニュへ
ジャコブ「ふたりのブルターニュの女性」

最後に

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

SOMPO美術館のブルターニュ展では日本人の画家も紹介されていました。

これは黒田清輝さんの作品「ブレハの少女」です。

ブルターニュのブレア島に訪れた際に描いた作品です。

私が気に入った作品のひとつです。

黒田清輝
ブレハの少女

なぜ画家たちはブルターニュへ
黒田清輝「ブレハの女性」

こんな風にいろんな画家や作品を紹介しています。

是非ともこちらを覗いてください。

私のおすすめ画家

他に、画材や描き方や公募展などに関するページもあります。

是非ともホーム画面をご確認ください。

Youtubeにも投稿

「風景画の旅」と言うテーマで、国内外の風景と自作絵画を動画にしてご紹介しています。

こちらもお立ち寄りください。お気に入りのモティーフが見つかるかも!

グランfチャンネル

ABOUT US
グランFgranf1765
第二の人生に入り、軽い仕事をしながら、風景画を描いて過ごしています。現役の時に絵画を始めてから早10年以上になります。シニアや予備軍の方々に絵画の楽しみを知っていただき、人生の楽しみを共有できればとブログを始めました。