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油彩で花と街の風景を描いています

”アンリ・ル・シダネル”はこんな画家!その生涯と作品とは?

アンリ・ル・シダネル

”アンリ・ル・シダネル”をご存知ですか?

絵画ファンでも知らない方が多いのでは。

印象派や新印象派、写実主義、象徴主義の影響を受けながらも独自の画風を確立した画家。

村を薔薇園にし、「フランスで最も美しい村」の一つにしたことでも有名です。

生涯と作品を辿ります。

シダネルの生涯と作品を辿る

アンリ・ル・シダネル 1862-1939

印象派の全盛期は、1870年代から1880年代と言われていますので、シダネルはどちらかと言えば印象派後に活躍した画家の一人です。

シダネルは近年になって改めて注目されている画家ですが、これまで日本ではあまり知られていなかったと思います。

最近は、この時代の画家たちにスポットが当たっているようで、展覧会で良く見かけるようになっています。

ジョルジュ・スーラ、オディロン・ルドン、グスタフ・クリムトは同年代で、私自身も好きな画家たちです。

他のページで取り上げていますので、そちらもご覧ください。

シダネルの生涯とは!

幼年期から修学期のシダネル

シダネルは10歳まで、インド洋のモーリシャス島で過ごしました。

マダカスカルの東方、約900kmにある島です。

シダネルの父はフランスの遠洋航海船の元船長であり、当時は妻と共に船舶の検査官としてモーリシャスに赴いていました。

シダネルは幼年期の思い出を次のように大切にしています。

「私の子供時代の魂は全て、モーリシャスに残されている」

シダネルが自然を愛する心は、モーリシャスでの子供時代にあるようです。

モーリシャスは、現在も「インド洋の貴婦人」と呼ばれる島です。さぞかし強烈なイメージとして残ったことでしょう。

”アンリ・ル・シダネル”
モーリシャス島

1869年にスエズ運河が開通したことで、モーリシャスはインド航路における必要性が薄れることになり、一家はフランスに戻ります。

そして父はフランス最北の町ダンケルクで船舶仲買人の仕事を得ます。

シダネルは子供の頃から芸術的な素養に優れていました。

というのも、父は絵画好き、母は音楽好きであり、一家に芸術的な感性が満ちていました。

絵が上手だったシダネルは、両親の勧めでダンケルクにあるデッサンの学校に進みます。

さらに、1880年(18歳)にはパリの国立美術学校(エコール・デ・ボサール)へ入学します。

パリでは、アカデミスムの巨匠・アレクサンドル・カバネル(1823-1889)の私塾にも入っています。ただし、後に方向性の違いが生じて元を離れています。

シダネルの転機

シダネルの大都市での生活は、自然と水平線への渇望をかきたてました。

モーリシャスの大自然に育ったシダネルにとって、当然のことでした。

この頃のシダネルは、田園風景を描いたミレーの影響を強く受けていました。

当時の感情をこんなふうに述べています。

「私は自分自身に納得することがなく、堕落したように感じていた。そこで、外気と自然で療養することにした。」

シダネルはダンケルクに近い漁村エタプルで9年間過ごすことになります。

エタプルでは、自然に魅了された画家たちが、小数ではありましたが活動していました。

シダネルは当地で仲間たちと同様、ミレーが広めた抒情的なレアリスムの道を追求し始めます。

この作品はエタプルでの代表作「ベルク、孤児たちの散策」1888年(28歳)です。

すでに一流画家の片鱗が見て取れますね。ぐっと心を捉えられます。

”アンリ・ル・シダネル”
 ベルク、孤児たちの散策

エタプルで9年間過ごした後に、シダネルはパリ17区のエミール通りにアトリエを構えました。

1894年(32歳)にはサロンに初出品、1897年1月に、マンシーニ画廊で初めての個展を開催し、成功を収めています。

独自の絵画の確立と開花

そんな折、シダネルは友人の勧めで妻をともなってベルギーのブルージュを旅します。

この旅行がシダネルの作品を根本から変えることになったと言われています。

ブルージュはドーバー海峡に近く、一年中曇りや霧、小雨の日が多い場所ですが、運河、石畳の道、石造りの建物など中世の面影が色濃く残る大変美しい町です。

シダネルは、この美しい町に滞在し、彼はまどろみのなかにある都市の詩情と気品を表現するようになります。

すなわち、その特異な気候の中で独自の表現の可能性を見出したのです。

その後もブルージュで何度か過ごし、シダネルは観念の情景(心に残る印象)を絵に表すようになりました。

様々な地域で絵画制作

シダネルはフランス国内の様々な都市のみならず、ロンドンやニューヨーク、ヴェツィア等へも移り住み、様々な作品を残しています。

特にパリ北方の村、中世の面影が残るジェルブロアを愛し、1901年(39歳)にこの町に移り住みました。

ジェルブロアは波乱に富んだ歴史を持つ町です。

この村は宗教戦争の時代には要塞都市であり、中世からの虐殺と略奪の地でした。シダネルが移り住んだ当時の町は、宗教戦争の影響で大変荒れていました。

しかし、ジェルブロワを訪れたシダネルは次のように語っています。

「私は、半ばまどろみ、しかしその過去の魅力が染み込んだ古い小さな町を知って驚きを覚えた」

シダネルは、ジェルブロワで教会から「家」と「埋もれた城塞遺跡に広がる果樹園」を借りて過ごしていました。

そして10年かけて自宅の庭を美しいバラ園にしました。

やがて村の人たちにも村全体をバラで埋め尽くすことを提案し、現在では「フランスで最も美しい村」の1つに選ばれるまでになっています。

モネのジベルニーの庭の大規模バージョンです。

”アンリ・ル・シダネル”
ジェルブロワの薔薇園

ジェルブロワに旅をしたくなりますね。

こんなページを見つけましたので、添付しておきます。

ジェルブロワ[フランスの美しい村]

シダネルの作品

シダネルは、印象派や新印象派、写実主義、象徴主義の影響を受けながらも、上述のように独自の画風を確立しました。


象徴主義とは

象徴主義とはフランスとベルギーで起こり、ヨーロッパ全土とロシアに波及した芸術運動です。

美術界だけでなく文学、音楽といった広範囲な芸術に及ぶものです。

芸術家たちは、当時の物質主義や享楽的な都市生活がもてはやされる風潮に反発し、人間の内面に目を向けました。

印象派の芸術家たちは目に見えるものを忠実に画面に写し取ろうとしたのに対し、象徴主義の芸術家たちは目に見えないものを描き出そうとしました。


シダネル円熟期の作品をいくつかご紹介します。

作品「ジェルブロワ、テラスの食卓」1930年(68歳)

庭のテラスからジェルブロワの村を見下ろす眺めを描いています。

その場にいるはずの人物を描かずに暗示しており、これはこの頃からの特徴です。

手前を寒色系で暗く、奥を暖色系の色を使って明るく描いており、対比が際立っています。

ただ、全体に、彩度を落として描いているので、柔らかい日差しが感じられます。

画面全体が点描で丹念に塗られています。

”アンリ・ル・シダネル”
作品「テラスの食卓」

作品「ジェルブロワ、青い食卓」1923年(61歳)

シダネルは、自宅での食卓の風景を多く描いています。

下の2作品はシダネルの最高傑作ではないでしょうか。

先ほどと同様に人が描かれていませんが、平穏、安らぎ、調和、充実、そんな言葉が浮かんでくる作品です。

この絵も全体に彩度が低く、統一感のある『まどろみ』を感じさせます。

上の作品ではワインボトルと果物のやや鮮やかな黄色が効いています。

下の作品では薔薇の花の赤と葉っぱの緑が補色の関係であり、そのためか強い印象を与えています。薔薇が主役になってますね。

2点とも、私の大好きな作品です。

”アンリ・ル・シダネル”
作品「青い食卓」
”アンリ・ル・シダネル”

最後に

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

シダネルは、いかがでしたか? いいでしょー!

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グランFgranf1765
第二の人生に入り、軽い仕事をしながら、風景画を描いて過ごしています。現役の時に絵画を始めてから早10年以上になります。シニアや予備軍の方々に絵画の楽しみを知っていただき、人生の楽しみを共有できればとブログを始めました。