”グランマ・モーゼス”こんな幸せな画家 70代で絵画を、一躍!

”グランマ・モーゼス”をご存じですか?

アメリカの国民的画家で、農民画家とも言われ、当時の人々の暮らしを絵にした人です。

絵を始めたのは70歳代半ば。

それでも80歳で初個展、一躍有名に。なんと絶筆は100歳!

こんな人の人生と作品を知りたくないですか?

生涯と作品を辿る
”グランマ・モーゼス”

私は、好きな画家の作品を楽しむ時に、可能な範囲でその方の生涯も辿ってみるようにしています。

そのほうが、作品をより深く理解できるように思えるからです。

作品紹介の前に、モーゼスさんの生涯や時代背景に付いて、少し触れておきます。

その生涯とは
”グランマ・モーゼス”

1860年9月7日ー1961年12月13日

まず時代背景から見ていきます。

どんな時代を生きた?
”グランマ・モーゼス”

1860年~1961年のアメリカや世界はどんな時代であったのでしょう。

モーゼスの子供〜娘時代

誕生年の1860年は日本で言えば明治維新直前に当たります。

アメリカでは、南北戦争(1861年~1865年)の頃です。

南北戦争とは「奴隷制を否定し保護貿易を求める」北部と「奴隷制を肯定し自由貿易を求める」南部の戦いです。

北部が勝利し、結果としてアメリカ合衆国が一つにまとまりました。そのため、この戦いはアメリカ発展のための礎になりました。

南北戦争に続いて西部開拓時代(1865年~1890年)を迎えます。

西海岸に向かって広範囲に開拓されて、鉄道が敷かれていった拡大の時代です。

シニア世代であれば、クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」など、マカロニウエスタン・西部劇でその様子をご存じでしょう。

やがて西部開拓時代が終わり、アメリカは更なるフロンティアを海外へ求めようになります。

モーゼスの母親時代

そして帝国主義時代(1890年~1918年)を迎え、ハワイ王国を併合、キューバを保護国に、プエルトリコ、フィリッピン、グアム島などを次々に植民地化していきます。

また、第一次世界大戦(1914年~1918年)では、アメリカはヨーロッパに武器や車両を輸出して大変潤いました。

このように、モーゼスさんの60歳くらいまでは、アメリカの拡大・繁栄の時代でありました。

モーゼスのシニア時代

第一次大戦によって最高の繁栄を迎えたアメリカでしたが、過剰生産のつけで、その繁栄が崩壊し、一転世界恐慌の時代を迎えます。(1918年~1939年)

そして、世界は第二次世界大戦(1939年~1945年)に突入、終戦後も冷戦時代(1945年~)が続きました。

モーゼスのシニア時代は世界もアメリカも困難な時代であったと言えます。

特に、モーゼスさんが絵を始めたのは世界恐慌の頃で、初個展は何と第二次世界大戦中でした。

こんな悲惨な時代背景の中で、モーゼスさんの絵は広く受け入れられ、多くの人々の心を捉えていきました。

どんな人生だった?
”グランマ・モーゼス”

絵画を始めるまで

モーゼスさんはニューヨーク市の北に位置するグリニッチというところで、10人兄弟の3番目、農家の子として生まれました。

グリニッチは緯度上では日本の北海道・旭川市付近になります。

本名はアンナ・メアリー・ロバートソン(モーゼス)です。

少女時代の彼女は、農場の仕事を手伝ったり、教室が一つしかない学校に、1年のうち数ヶ月通ったりしていました。

12才になると、家を出て、近くの農場に住み込みでお手伝いさんとして働き始めました。

27才の時に、彼女は、同じ農場で働いていたトーマス・サーモン・モーゼスと結婚します。

結婚後は、ヴァージニアへ移って農場を借りていましたが、やがて自分たちの農場を手に入れました。そして、彼女が45才の年に再度、実家からほど近い場所に落ち着きました。

モーゼス夫婦は農場を経営しながら、5人の子供をもうけています。

先に書きましたように、アメリカは繁栄の時代にありましたから、モーゼス一家も割に生計を立てやすかったことでしょう。

下の絵は彼らの農場の風景です。白いのが母家で、他は納屋や牛舎などです。

サイドビジネスとしてバターやポテトチップス、ジャム、牛乳などをお店に卸していたとのこと。

当然、主婦として家事もこなしていましたので(手伝う人もいたかもしれませんが)、大変忙しい毎日であったと容易に想像できます。

モーゼスさんは、全ての面で器用な女性であったようですので、上手くこなしていたことでしょう。

”グランマ・モーゼス”作品
冬のネボ山農場
絵画を始めた頃から

70才の頃には、モーゼスさんは娘の家で暮らしていました。

というのも、娘さんが病弱であったため、孫の世話などで手助けを必要としたためです。

そんな折に娘さんから、刺繍絵をやるよう勧められます。

当時、刺繍絵は女性たちに結構人気があったようです。

モーゼスさん自身、キルト作りなどで覚えた裁縫が好きで、しかも上手でした。

そんなキッカケで始めた刺繍絵でしたが、彼女の作品は良い出来で、友人などからも欲しいと言われていたようです。

さぞかし、手先が器用で、絵心も持ちあわせていたのでしょう。

刺繍画から油絵に

しかしながら、徐々に手のリュウマチがひどくなり、刺繍の時に針と糸を持つのが辛くなっていきます。

そこで、今度は下の娘さんから「絵なら刺繍よりも楽だよ」と言われ、絵を始めます。

彼女はすでに75才になっていました。

今の時代なら、「絵もいいね、やろうか!」くらいの軽い反応かもしれませんが、その当時のアメリカの平均寿命は60才、農村で75才から絵画を始めるなど普通の人には想像もつかないようなことだったのでは!

家事も手伝っていたでしょうから、さぞかしお元気で、気力・活力に満ちた人だったのでしょう。

最初は、家にあるペンキで機械を覆うクロスに描き始めました。(まさにキャンバスですね)

そして、独学で絵画の腕を上げていきました。

80才のシンデレラ

モーゼスさんは、この頃、描いた絵を近所のドラックストアに置いてもらっていました。

モーゼスさんの絵は、近所で人気があったのでしょう。

当時は主婦たちが自分の作ったものを店に置いてもらい、好きなものと交換してもらえる仕組みがありました。

店においてあった彼女の絵が、幸運にも、たまたまニューヨークからやってきたアマチュア絵画収集家ルイス・カルドア氏の目に留まります。

カルドア氏は早速モーゼスさんを訪問し、モーゼスさんの絵を全て購入してニューヨークへ持ち帰りました。

これが、彼女の画家となる出発点になりました。

カルドア氏はその後、いくつかの画廊にモーゼスさんの絵を持ち込みました。結果として、フォーク・アートに興味を持っていたオットー・カリヤ氏が最初の個展を開いてくれました。

モーゼスさんはすでに80才になっていました。

初個展以降

「農婦の描いたもの」と題された初個展に、ギンベルス・デパートが注目し、デパートの感謝祭の催し物でも展示してくれました。

引き続いて、いくつかの場所で展覧会が開かれたため、モーゼスさんは一躍有名になりました。

その後は、トントン拍子で、こんな出来事もありました。

  • モーゼスさんの作品を使ったクリスマスカードが人気。86才
    カップや洋服などにも使われました。
  • 「全米記者クラブ賞」受賞。トーマス大統領がプレゼンター。89才
  • 彼女のドキュメンタリー映画が作られ、アカデミー賞にノミネート。
  • 自伝を書き、出版。92才
  • 雑誌「タイム」の表紙で紹介される。93才
”グランマ・モーゼス”
「タイム」表紙
100才を迎えて

100才の誕生日には、国中でお祝をしてくれました。

ニクソン・ロックフェラー知事からその日を「モーゼスおばあさんの日」と名付けられたり、アイゼン・ハワード大統領からバースデーカードを、また、たくさんの人たちからプレゼントや手紙をもらいました。

彼女は、その時代に最もよく知られ、愛された、アメリカのスター・芸術家になっていました。

そして、惜しまれつつ101才で亡くなりました。

”グランマ・モーゼス”の作品

グランマ・モーゼスは、初めは楽しい趣味として少しづつ絵を描いていましたが、有名になると注文がどんどん入るようになりました。

また、いろんな人のアドバイスもあって、だんだんと腕を上げていきました。

なんと、描きに描いた作品は1500点以上になります。

ざっと25年で1500点ですから、単純に割ると60点/年、5点/月。

多い時にはこれ以上の数字だったでしょう。

とは言え、有名になってからも台所の裏にあった小さな部屋をアトリエにし、筆なども擦り切れるまで使い、農場で慎ましい生活を送りながら絵を描いていました。

刺繍画作品
”グランマ・モーゼス”

絵画作品をご紹介する前に、グランマ・モーゼスの刺繍絵を少し取り上げます。

これらは80才頃の作品です。この頃は、すでに油絵を描いている時期ですが、このような刺繍画も少しは作っていたようですね。

水彩やパステル画のようなトーンで、おばあちゃんぽくて、かわいい絵です。これはこれで惹かれます。

「海辺のコテージ」 81歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

「丘から家路につく羊飼い」 80歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

「イギリスの別荘の花園」 80歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

油絵(地域の風景)
初期の作品

「グリニッチへの道」 80歳の作品

この絵は、初個展に出品された絵です。

モーゼスが生まれた場所の風景です。

細かいところは見えにくいですが、印象派のように色の隣に色を置いています。

彼女にとっては、刺繍画と同じような要領で絵を描いていたようです。

例えば、刺繍で結び目を作るフレンチノットのように点描で描いた箇所もあります。

遠くの山は空気遠近法で遠近感を出しています。

”グランマ・モーゼス”作品

「ケンブリッジ渓谷」 83歳の作品

透視図法による遠近表現ではないですが、パノラマ写真のように広々とした風景が描かれています。

奥の山も空気遠近法で丁寧に表現されています。人も描かれるようになっています。

ただ、近景、中景、遠景と全てに焦点があっており、不自然な絵ではあるのですが、これがグランマ・モーゼスの特徴なのです。

”グランマ・モーゼス”作品

油絵(地域の行事)
90歳代の作品

グランマ・モーゼスは、家族や地域の人たちと共に助け合ったり楽しんだりした、行事を多く絵にしています。

日本でも昔は物が手に入りにくかったり、機械がなかったため、一家総出で働いたり、地域の人々が助け合っていましたね。

そして収穫を祭って皆で楽しんだり。

当然、アメリカでもそうであったでしょう。

彼女の絵は、地域の結びつきが少なくなっていた都会の人々に、ノスタルジーを抱かせたようです。

「キルティング・ビー」 90歳の作品

ビーとはハチのことです。

皆でキルトを編むとき、ハチのようににぎやかなことから、この行事は「キルティング・ビー」と呼ばれています。

ハギレを持ちあって、おしゃべりしながらキルトを編み、その後、皆で楽しく食事をします。

本当に、楽しそうですね。

こんな大型のキルトをどのように利用するのでしょうか。そこにも興味あります。

”グランマ・モーゼス”作品

「1800年のローソク作り」 90歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

「せっけんを作り、羊を飼う」 95歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

「シュガリング・オフ」 95歳の作品

これは2月の行事でした。

サトウカエデの木の樹液は、この季節に根から上がってくるとのこと。

そこで木に傷をつけて樹液を取り出し、煮詰めてシロップを作りました。

それを雪の上に垂らすと固まってキャンディができます。

子供たちの楽しみの日でした。

この絵では絵の具に鉱物を混ぜてキラキラさせています。

この頃にはそんな工夫もしていたようです。

”グランマ・モーゼス”作品

「アップル・バター作り」 87歳の作品

夏の終わりの行事です。

傷ついたリンゴからジュースを搾り、八つ切りしたリンゴと一緒に煮詰めます。

肉料理のソースにしたり、パンにつけて食べるそうです。

モーゼスおばあさんもこの絵の中にいます。好きだったラベンダー色の服を着ていますよ。

”グランマ・モーゼス”作品

油絵(絵本の挿絵)
最晩年の作品

グランマ・モーゼスが100歳の年に「クリスマスの前の晩」(クレメント・C・ムーア著)という本の挿絵を依頼されます。

その時、彼女は最初、「見たことのないものは描きません」と断りました。

しかし、その物語が好きだったので最終的に引き受けました。

「サンタクロース」 100歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

「サンタクロースを待ちながら」 100歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

「来年までさようなら」 100歳の作品

”グランマ・モーゼス”作品

油絵作品『虹』
100歳の絶筆

グランマ・モーゼスの最後の作品です。

この絵を描いた後に入院しました。

モーゼスさんの「もう一度必ず絵を描きたい」という願いは叶わず、101歳で亡くなります。

この絵を描いた時には、すでに手が衰えており、少し柔らかいタッチになっています。

しかし、目は衰えていなかったようで、巧みな色彩配置はそのままです。

好きだったラベンダー色の虹が輝いています。

”グランマ・モーゼス”作品

グランマ・モーゼス作品
を観れる美術館

ハーモ美術館 in 下諏訪町

この美術館では、パントル・ナイーフ(素朴派)の画家の作品を常設展示ししています。平たく言うとアンリ・ルソー、グランマ・モーゼスのように独学で絵を描いた人の作品です。

当美術館では、7点のグランマ・モーゼス作品を保有しています。

常設展示されているようですが、ご確認の上で訪問してください。


素朴派とは

素朴派とは、19世紀から20世紀にかけて存在した絵画の一傾向で、ナイーブ・アート、パントル・ナイーフとも呼ばれています。画家を職業としないものが、正式な美術教育を受けぬまま、絵画を制作しているケースを意味しています。

こういった画家は、一般に美術界の潮流や技術的なことにはあまり関心がなく、かえって独創的な作風に至ることが多いようです。どのような手法で描くかよりも、なにを描くか、モチーフにこだわる傾向にあります。対象を写実的に描写した具象的な絵画がほとんどです。


ハーモ美術館ホームページ

こんな本もありますよ。参考まで。

モーゼスおばあさんの四季 絵と自伝でたどるモーゼスおばあさんの世界 [ W.ニコラ・リサ ]

価格:1,650円
(2022/3/13 13:54時点)
感想(4件)

最後に

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

記述の通り、グランマ・モーゼスの絵画人生は、驚きに満ちています。

「こんなことは誰にでもあることではない、誰にでもできることではない」のは確かですが、第二の人生で絵画を楽しむ人たちにとって、誰もが憧れる姿ではないでしょうか。

モーゼスさんは、絵画を通じて、人々に感動や癒しを与え、また逆に社会から生きがいと充足感をもらいました。

そして、100歳で絶筆、101歳で大往生。

なんと素晴らしい人生であったことか。泣けてきますね。

最晩年にモーゼスさんはこのような言葉を遺しています。

最晩年の言葉
”グランマ・モーゼス”

「私の生涯というのは、一生懸命に働いた一日のようなものでした。」

誰でも多分、一日一生懸命働いた後には、成果の有無とは関係なく、「やりきった充足感」や「明日もがんばるぞという意欲」が沸きますよね。

モーゼスさんは、だだ

「自分にできることを、一生懸命やりつくした」

という思いだったのではないでしょうか?

仏教の「悟りの境地」のようなものを感じます。

100歳越えの画家たち

日本画家・奥村土牛さん、洋画家・江上茂雄さん、

お二人もモーゼスさん同様に100歳超えの絵画人生でした。

別のページで取り上げていますので、是非ともお立ち寄りください。

私の日本のおすすめ画家ー奥村土牛、江上茂雄など

私の海外のおすすめ画家ールソー、ワイエスなど

 

ABOUT US
グランFgranf1765
第二の人生に入り、軽い仕事をしながら、風景画を描いて過ごしています。現役の時に絵画を始めてから早10年以上になります。シニアや予備軍の方々に絵画の楽しみを知っていただき、人生の楽しみを共有できればとブログを始めました。