想像以上にきつかった第二の人生の始まり
”トンネル技術者が今では絵描きに”。
しかし50代の頃は、シニアになったら「趣味として好きな絵を描いて、ゆったりと過ごせばいいや」と気軽に考えていました。
ところが、実際に定年を迎え、その考えが大変甘いものであることに気づきました。
実はこんなことがありました。
第二の人生と生きがい
私は現役時代に、「定年退職後、どう過ごすか」ということについて深く考えていませんでした。
ましてや、「第二の人生での生きがい」のことなど、全く頭にありませんでした。
先のことをあまり気にしない性格で困ったものです🤗。そんな甘ちゃんの私がどうなっていったのでしょうか。

定年退職で始まった第二の人生
私は現役時代、トンネルの建設現場で技術者として本当に楽しく仕事をさせてもらいました。
トンネルを造ることは未知との戦いであり、現場で判断し対策を求められることが多く、その分、時にはトラブルも経験しました。
なので無事に貫通した時は、関係者全員で大きなやりがいや達成感を共有したものです。
しかし、定年退職とともにそういった「やりがいや達成感」が一瞬で奪われました。(近年は再雇用制度もあり、徐々にではあるかもしれませんが。)
そして、その時になって初めて、定年退職に対する考えの甘さに気付いたのです。
世間では、仕事一筋で過ごしてきた人の中に、定年退職で心にぽっかりと大きな穴が空いてしまい、うつ病を発症する方がおられると聞きます。
私自身もそんな気分でした。
フランスの社会学者・ボーボワールは、著書「老い」の中で「定年退職は社会的な死」と述べています。
なんと、新しく生まれかわって、第二の人生を切り開かなければならなかったのです。
当然、何も知らない赤ん坊からではありません。
長い人生を経て、その喜びや挫折などの記憶を持ったまま、生まれ変わらなければならなかったのです。

50代後半に絵画を再開
私は、高校時代から映画や音楽が大好きで、当時は無謀にも映画制作の道に進みたいなんて思っていたものです。
大学は当然、土木工学科卒ですが、建設会社への入社が決まっても、芸術への想いを捨てきれず、後ろ髪をひかれる気持ちでした。
とはいえ、芸術に関して正直なところなんの後ろ盾もなかったのです。
そんな経緯もあり、入社してからすぐに会社の美術クラブに入り、現場へ行っても絵を描いていました。
しかし、家庭を持ち、仕事の責任も増え、いつしか絵を中断していました。
その後も芸術への想いはくすぶり続け、現場の安全ポスターや地元向けの広報誌作りなどで、気を紛らせていました。
絵を再開したのは50歳代の後半になってからです。その理由は、こんな単純なことでした。
- 退職までに絵を少し上達しておき趣味にしたい
- 東京勤務になり、絵画教室などに行って絵を学べる環境であった
当時は、入札のための技術提案業務、また新規技術開発、そして現場管理と大変忙しい毎日でしたが、まじめに絵画教室に通いました。
しかし2年ほどして海外現場勤務になり教室をやめました。
ただ海外現場では治安上の問題で外出制限が課されたため、以降も気晴らしに絵を続けていました。

第二の人生と絵画
定年退職後には、絵画教室に通ってせっせと絵を描いていました。
100号というドアくらい大きい絵を描いて公募展に出品したり、イギリスの大学に夏季短期留学して絵を学んだりして、教室の仲間と楽しく過ごしていました。
しかしながら一方で、現役時代に味わった「やりがいや達成感」を忘れられずにいました。
絵ではそんなように大きなやりがいを感じられなかったからです。
そんな時に哲学者・三木清の「人生論ノート」で次の言葉に出会いました。
「娯楽は単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。」
要は、絵を「単なる娯楽として消費的に捉えるのでなく、もっと積極的に創造的なものを生み出して社会に貢献しなければならない」と述べていたのです。
当然のことです。
娯楽に逃げていて、やりがいや達成感を感じるはずがありません。
以来、苦しみも多々ありましたが、『絵描きになる』と目標を決め積極的に活動してきました。
ただ、初めから大きな目標を持つと挫折すると思い、「70歳までに安くても良いので絵を買ってもらえる画家になる」という目標をたてました。
専門教育を受けていない私、一歩ずつしかありませんでした。
そうして過ごしているうちに、少しずつ「やりがいや達成感」を取り戻していきました。

モノつくりの喜び
私は会社では管理部門よりもトンネル工事現場で長く働いてきました。
どんな工事でも楽なものはなく、工事中に難しい課題に遭遇したり、大きなミスをして悩んだ経験も多々あります。
しかし、そんな時に助けてくれたのが「モノつくりの喜び」でした。
日々少しずつトンネルが前に向かって進んでいくことに、大変励まされたものです。
なんとか腐らずに会社生活を続けられたのは、モノつくりのおかげです。
私が、絵を続けているのは、そこにトンネル工事で経験したモノつくりの喜びがあるからだと思っています。
絵では、
- 無の状態からモティーフを決め、持てる感性や技量を総動員して描きすすめる
- 行き詰まって悩んだら検討・修正する
- 必要な技術を学んで活かす
これは間違いなくモノつくりの喜びに違いありません。

絵は誰でも上手くなれるのか
こんな私ですが、決して絵を描くことに幼いころから興味や才能があったわけではありません。
子供の頃は、図工が好きだったという程度でした。
小学校の時に描いた絵が新聞に紹介され、自分は絵が得意だと勘違いしたことが始まりです。
そんな私が絵を描けるようになったきっかけは、何よりも絵画理論を学んできたことだと思っています。
土木と同じで、絵画にも長年にわたって培われてきた絵画理論があります。
色彩の使い方、光と陰影などなど。構図たるや、なんとピタゴラス理論などで数学的にも解明されているのです。
そういうことを少しずつ学びながら、自分の感性と調和させてきただけなのです。
幸いに、絵の先生もそういった技術者的なアプローチをしておられました。
実際、「音楽演奏は才能が大きなウエイトを占めるが、絵を描くことにそれほど才能は」との言葉に力付けられています。

私はこんな絵を描いています
私は「花と街の風景画」を描いています。
絵画には、風景画の他に抽象画、人物・動物画、静物画、室内風景画などがありますが、旅好きなこともあって初めから風景画を描いています。
そして、画材は油絵具です。
絵画教室では水彩画から初めて、アクリル画そして現在の油絵と変えていきました。
公募展に出品した際に油絵の重厚感に魅せられた次第です。
私は、作品で風景の中に流れる「時の声」を描きたいと思っています。
光や風、街角に残る気配の中に、人の記憶と自然の息遣いを感じて、過去と現在、静と動が共存する瞬間を絵に留めたいと考えています。
ストレスフルな現代において、少しでも心を癒してもらえればと思っています。
ところで、絵を描いている私ではありますが、今のところ抽象画や超写実画の良さをあまり理解できません。古典絵画の類も。
正式な美術教育を受けてきたわけではないので、やむを得ないかと思います。
しかし、自分のこれまでの人生を活かした絵は描けると信じています。


絵を再開して15年、現在は
最近やっと、自分らしい絵の形を見つけられつつあり、個展やNETにて少しずつ絵をお求めいただけるようになりました。
これまでに40点以上をお求めいただき、本当に活動の励みになっています。
ここ数年、私は、高松と大阪で年に1回ずつ展示会を開いています。
高松の展示場所は、私が四国支部長を務める臨床トンネル工学研究所において講演会や懇親会の会場として利用されている場所でもあります。
臨床トンネル工学研究所というのは、”トンネル技術の発展と展開”を目的としたトンネル技術者の集まりです。ジジイではありますが、私もボランティアで四国地区の行事を手伝っています。
立場上、会場に打合せや準備で出向くことがあり、私の絵も展示させてもらうことになりました。
個展の開催時期を講演会日と合わせてくれたので、これまでに多くのトンネル技術者さんにも観てもらいました。
熱心に応援していただける方もおられて心から感謝しています。
一方大阪では、関西地区の絵描き仲間とグループ展を開いています。
最近は、老若男女・6名で「ココロのパレット」という絵画グループを発足して、定期的にzoomで情報交換をしたり、グループ展を開催したりしています。

時には懇親会も!
さらにブログやSNSでは、作品を紹介・販売したり、初心者さんに向けて絵の描き方などを配信しています。
こんな風に絵描き仲間も増えて活動の幅も広がってきました。
活動を通して、絵がそれまでに経験したことのない世界を見せてくれました。
これからも、どんな世界に出会えるか楽しみです。
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第二の人生をどう生きるか
おかげで第二の人生でも、ささやかではあれど、第一の人生とは一味違った「やりがいや達成感」が生まれつつあります。
しかし、決して順風満帆というものではありません。
展示会を開いても、思うように人が来てもらえなかったり、自分の絵に対して心ない批判をされることも。
それと健康ですね。いつかはフレイル期を迎える時が来て、絵画を断念する時が来るでしょう。
ただ私は、家庭と健康が許す限り、さらなるステージを目指していきたいと思っています。
「第二の人生をどう生きるか!」
それは、個人次第です。
それまでの経験、健康や資産状況、家族の状況にもよるかと思います。
また、その人を取り巻く社会的な環境にも制限されて、こう生きたいと思っても許されないかも知れません。
なので私のケースは、何の参考にもならないと思われる方もおられるでしょう。
ただ一言、「第二の人生を幸せなものにすることは、誰しも簡単なことではないであろう」ということです。
生まれ変わった第二の人生!
お幸せな人生を迎えられることを願っています。
アメリカのカメラマン”ソール・ライター”は、私が第二の人生の生き方に悩んでいた頃に指針をもらった人です。
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最後に
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
なかなか目標通りに進まず悩むこともありますが、「モノつくりの喜び」を大事にして絵を続けていきたいと思っています。
第二の人生と絵画について、他にも書き留めています。
こちらのurlからのぞいてください。
動画でも配信
YoutubeやTiktokでも絵について配信をしています
是非とも覗いてみてください。






























