ゴッホの意外な一面を深掘りします
”ゴッホが農民画家ミレーを崇拝”してたこと、ご存じでした?
ミレー作品は、宗教画っぽく、土色で写実的!
ゴッホ作品は、やや都会的で、鮮やかな色彩と大胆な筆致!
そんなゴッホがなぜミレーを?
「ミレーがゴッホ作品にどんな影響を与えたのか」深掘りします。
ゴッホがミレーを崇拝するに至るまで
ミレー:1814年 – 1875年 ゴッホ:1853年 – 1890年
ミレーが1814年生まれで、ゴッホが1853年生まれですので、39歳の年齢差があります。
なので、ゴッホが生まれた時、ミレーはすでに成熟した画家で、ゴッホが22歳の時にミレーは亡くなりました。
直接会った記録はないようです。
参考までに、二人の代表作を載せておきます。
一見しただけでは、全く違うものを求めているかのように感じませんか。
ゴッホ代表作![]() |
ミレー代表作![]() |
二人が生きた時代背景
この二人が生きた年代は近いですが、「世界の空気」がかなり違っています。
しかし共通していることもあります。それは、華やかな産業革命の陰で、多くの人々が取り残されて苦しんでいたことです。
ミレーの時代(1814~1875)
この時代は、農村社会がまだ主役の時代でした。
産業革命が進み始めたとはいえ、まだ多くの人が農業で生きていた時代です。
ミレー自身もノルマンディーの農家出身であり、彼の農民画は、「自分の原風景」だったのです。
ミレーの青年期は、フランス革命(1789-1799)後の混乱が残る時代でした。
そのため、この時代は、貧富差、労働問題、都市化、農民の困窮が大きな社会問題であり、ミレーもそういった問題意識を持って作品を制作しました。
農民を大きく描くミレー作品は、当時「社会主義的だ」と批判されることもありました。
なお、絵画の面では、ミレーの時代は、まだアカデミックな歴史画が主流でした。

ゴッホの時代(1853~1890)
ゴッホの頃になると、ヨーロッパは産業革命が進んでさらに近代化しています。
鉄道、工業化、都市化、資本主義、大衆文化が急速に進みました。
一方で、人間疎外や孤独感も強まっていった時代でもあります。
ゴッホの不安定さや孤独は、こうした時代とも無関係ではないようです。
なお絵画の面では、印象派が登場した時代でもあります。
ゴッホは印象派の色彩革命を取り入れ、そこへ、さらに大胆な感情表現を吹き込みました。
ゴッホが32歳の時に描いた下の作品などは、かなりミレー的精神を感じます。
“貧しいけれど、人間として尊い”という視線です。ゴッホは、その精神をさらに激しい色彩へ押し進めていきました。

ゴッホが画家になるまで
私は、画家の少年〜青年期に大変興味があります。
その年代は人間形成の上で大事な時期であり、それがきっと作品にも反映していると考えるからです。
ゴッホは男3人と女3人の兄弟の長男でした。兄弟の中でも、ゴッホの画家活動を支えた弟のテオは有名ですね。
ゴッホは子供時代から、繊細で内向的だったと言われています。
父はプロテスタントの牧師でした。
なので彼は、幼い頃から『貧しい人への慈愛』、『労働の尊さ』、『謙虚さ』、『神の前の平等』といった価値観の中で育ちました。
ゴッホは20代前半の頃から、ミレー作品に深く感動していました。
当時は、画商見習い、教師、伝道師志望など職を転々としており、人生の方向を探していた頃でもあります。
その頃から、農民や労働者の姿に強く関心を持っていて、ミレーの版画や複製画を熱心に見ていました。
ゴッホは、20代後半、ベルギーの炭鉱地帯で、貧しい労働者に寄り添う伝道活動をします。
自分の服を与え、労働者と同じ生活をし、極端に質素に暮らしをしました。
しかし教会組織からは、「行き過ぎ」として失格扱いされます。
この挫折は大きかったようですが、「貧しい人々の中にこそ真実がある」という感覚は、後の絵画人生に強く残りました。
一方、ミレーもまた、農民を単なる“田舎者”ではなく、「神の世界の中で生きる人間」として描いていました。
だからゴッホは、ミレーの農民画に、宗教画と同じ精神性を感じたのです。
ゴッホは、技巧的で上流階級的な画家よりも、農民、労働、土、夕暮れ、祈りを描いたミレーを崇拝するようになります。

画家としてのゴッホとミレー
ゴッホは27歳で絵画の修業を始めます。
ゴッホがミレーから受けた影響
ごく初期から、ゴッホはミレーの複製版画や写真を模写し自作に応用しています。
ゴッホがミレーから受けた造形面(技法など)の影響はさほど多くはありません。
ゴッホに対するミレーの影響はむしろ精神的なもので、尊敬の念は崇拝の域にまで達していました。
決定的なきっかけはサンスィエによる伝記「ミレーの生涯」(1881年)でした。
文中の「清貧に甘んじた宗教的かつ道徳的な農民」、「聖書を知り尽くし、農村描写の中に聖書の雰囲気を捉えた農民」と言うミレー作品のイメージは、ゴッホに極めて大きな影響を与えました。
伝道子を志したこともあるゴッホは、自らの理想とする姿をミレーに投影して、一種の預言者のようなイメージをミレーに対して抱いていました。
ゴッホは、「福音」と「信仰」を抱いたミレーは「かの高みにあるもの」、すなわち「神と永遠の存在」であるとまで語っています。
比べてみるゴッホとミレー
ゴッホが、本格的にミレー作品を模写したのは、主に1889年~1890年、つまり36~37歳頃です。
これはゴッホ晩年、南フランスのサン=レミ療養所に入っていた時期にあたります。
1888年末、有名な“耳切り事件”の後、ゴッホは精神的にかなり不安定になります。
そして療養所生活では、外出できなく、発作があり、精神状態が揺れる状況でした。
そのため彼は、新しい風景を自由に描けない時、弟テオが送ってくれた版画や複製画をもとに、ミレー作品を描いたのです。
ゴッホはミレー作品を数多く模写しましたが、実際にはかなり変換しています。
たとえばミレーの落ち着いた色調を、ゴッホは強烈な青や黄色へ置き換えています。
つまり彼は、「ミレーの精神」を、自分の時代・自分の感情で再生しようとしていたのです。
いくつかの作品を比べてみます。
作品「掘る人」
ゴッホ作![]() |
ミレー作![]() |
作品「歩き始め」
ゴッホ作![]() |
ミレー作![]() |
作品「羊の毛を刈る女性」
ゴッホ作![]() |
ミレー作![]() |
最後に作品「種を蒔く人」です。
比べるまでもありません。これぞゴッホの本領ですね。

ミレーからゴッホ、そして宮沢賢治へ
この絵は、ミレーが亡くなった時、アトリエに残されていたものです。

この作品が、1878年にグーピル商会から売却された当時、ゴッホはグーピル商会に勤めていました。
残念ながら、ゴッホがこの作品を見たかどうかは定かではありません。
しかし作品を見る限り、ミレーが黄昏時や夜に傾けた情熱がサンスィエの伝記を通してゴッホに引き継がれた事は、間違いないと思います。
それはやがて極東の地で、ゴッホの手紙を読んだ宮沢賢治へと引き継がれ、銀河鉄道夜として身を結ぶことになったとは、感激ですね。
ちなみに、ゴッホはこんな作品を描いています。

最後に
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ゴッホとミレー、どちらの作品がお好きでしょうか。
私はゴッホです。
作品はさておき、どちらも純粋な画家であったことは間違いないようです。
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