“素朴派とはこんな画家”と題し、その意味と画家たちを紹介します。
絵画の素朴派って言葉を聞かれたことがありますか?
すごく地味ーな絵を描く人たち?
決してそんなことはありません。
彼らの作品は、現在も多くの人々に愛されています。
是非とも最後まで読んでくださいね。
絵画の素朴派の意味とその画家たち
私が、素朴派を知ったのは、展覧会でアンリ・ルソーの絵を見て、その絵を好きになったことがきっかけでした。
ルソーの絵には、不思議に親近感がありました。
古典絵画の系列でなく、またモネやセザンヌのような印象派とも違っていました。
まさに不思議な絵、不思議な親近感でした。
そこで、ルソーのことを調べたところ、素朴派に行き着き、ルソーがその代表的な画家であること知りました。
絵画の素朴派とは
素朴派とは、正式な美術教育を受けないまま、画業をなりわいとせずに絵画を制作している人たちを指します。
私が感じた親近感は、『正式な美術教育を受けない‥‥、‥‥絵画を制作』というところに背景があったようです。
素朴派は、19世紀から20世紀における絵画の一傾向でした。
英語ではナイーヴ・アート、フランス語ではパントル・ナイーフと呼ばれます。
素朴派の画家は、美術界の潮流や技術的なことにはあまり関心がなく、かえって独創的な作風を生み出したようです。
彼らは、どのような手法で描くかよりも、何を描くか、いわばモティーフにこだわる傾向にありました。
ところで、素朴派の画家たちを見出したのは、パリの画商・ヴィルヘルム・ウーデでした。
ウーデが、素朴派を近代絵画における一領域として概念的に確立させたのです。
ウーデは1910年にアンリ・ルソーの伝記を書いています。
また、1927年にはルソーを含めた素朴派の4人画家たちによる「聖なる心の画家」展を企画しています。
ウーデは、何かと彼らを支援しました。
ウーデがいなかったら、彼らは単に「そこそこ上手くて、変わった絵を描く画家」で終わっていたのかもしれません。
素朴派の作品は、写実的に描写した具象絵画がほとんどですから、一般的には前衛性は見られません。
また、美術教育を受けていないため、プロからは”稚拙さ”を指摘されていました。
しかし、「前衛性の有無」や「絵の出来・不出来」、これらは見る人々の受け取り方次第です。
そのことは、
- 彼らの作品が後の著名な画家たちに影響を与えた
- 現在でも多くの絵画ファンを惹きつけている
という事実が、それを証明しています。
素朴派の画家たちと作品
ここでは、素朴派だとみなされている4人の画家についてご紹介します。
- アンリ・ルソー(フランス)
- グランマ・モーゼス(アメリカ)
- 谷内六郎(日本)
- ルイ・ヴィヴァン(フランス)
アンリ・ルソー
1844年5月21日-1910年9月2日 66歳で没す
ルソーは、独学で日曜画家として絵を描いていました。
本業はパリの税関職員でした。
子供の頃から画家になる夢を持っていましたが、親が事業に失敗し、絵を学ぶ余裕はありませんでした。
ルソーは、40歳の頃から本格的に絵を描き始めます。
しかし、ルソーの純粋無垢な画風は画壇から酷評されていました。
失礼にも「ヘタウマ」という称号をもらっていたのです。
そんなルソーでも、ピカソには絶賛され、また印象派の画家ロートレック、ゴーギャンなどからも高く評価されていました。
ルソーは、稚拙な絵画と酷評されながらも、また幾度か家族との辛い別れに会いながらも、決してめげずに夢であった画家になり、自身の絵画を追求し続けました。
彼は、老年になってもやる気満々でパワーがあり、晩年に近づくほど作品がよくなり進化していきました。
ところで、ルソーの作品は二百数十点しか現存していません。
実際、それほど多くの作品を描いていないようです。
彼の作品は、遠近法など全く気にしない独自のものですが、単純な絵ではなく絵の中にたくさんの企みがあると言われています。
少しだけですが、作品を載せておきます。
作品「カーニバルの晩」
この作品は本格的に絵を始めてまもない頃の作品です。
シュールレアリズムの巨匠/ルネ・マグリットを思い起こさせるような絵です。
作品「田舎の結婚式(婚礼)」
ルソーの絵ではよく人物が浮遊するように描かれています。
この絵でも花嫁の足が見当たりません。
作品「夢」
亡くなる数ヶ月に完成した、ルソー最後の作品です。
絵には、シャーマニックな女性やハスの花が描かれており、すでに死後の世界に入って描いたのではと言われています。」
アンリ・ルソーについては、下のページで詳しく取り上げていますので、よかったらそちらもご覧ください。
動画はこちら! アンリ・ルソー ショート動画
グランマ・モーゼス
1860年9月7日ー1961年12月13日 101歳で没す
モーゼスは、病弱な娘を助けるため、70才の頃には娘の家で孫の世話などをしながら暮らしていました。
あるとき娘さんから、当時の女性たちに人気があった刺繍絵をやるよう勧められます。
気軽に始めた刺繍絵でしたが、彼女の作品は良い出来で、友人などから欲しいと言われていたようです。
しかしながら、徐々に手のリュウマチがひどくなり、刺繍の時に針と糸を持つのが辛くなっていきました。
そこで、今度は下の娘さんから「絵なら刺繍よりも楽だよ」と言われ、絵を始めます。
その時、彼女はすでに75才になっていました。
今の時代なら、「絵もいいね、やってみようか!」くらいの軽い反応かもしれません。
しかしながら、当時のアメリカの平均寿命は60才
農村で75才から絵画を始めるなど普通の人には想像もつかないようなことだったと思います。
彼女は、独学で絵画の腕を上げていきました。
そんなある日、彼女の描いた絵が、たまたまニューヨークからやってきていたアマチュア絵画収集家ルイス・カルドア氏の目にとまります。
仲間と一緒に近所のドラッグストアに絵を飾ってあったのです。
カルドア氏は早速モーゼスを訪問し、モーゼスの絵を全て購入してニューヨークへ持ち帰りました。
これが、彼女の画家となる出発点になりました。
そして、80歳のときニューヨークで初個展、その後は驚くほど輝かしい画家人生を送りました。
絶筆はなんと100歳!うらやましすぎる!
作品「キルテイング・ビー」
ビーとは蜂のことで、皆でキルトを編むときに、蜂のようににぎやかなことから、地域の人々はこの行事をそう呼んでいました。
モーゼスは、地方に伝わる伝統行事をよく絵にしています。
地域の結びつきが少なくなっていた都会の人々に、ノスタルジーを持って受け入れられたのです。
作品「アップルバター作り」
これは夏の終わりの行事です。
傷ついたリンゴからジュースを搾り、八つ切りしたリンゴと一緒に煮詰めてアップルバターを作りました。
グランマ・モーゼスについては、下のページで詳しく取り上げていますので、よかったらそちらもご覧ください。
谷内六郎
1921年12月2日ー1981年1月23日 59歳で没す
谷内六郎は、14歳で見習い工員として町工場で働き始めました。
しかし、喘息に悩まされ、工場を休みがちでした。
終戦を迎えたことで(谷内23歳)、その後は喘息に悩まされながらも精力的に漫画を発表したり、絵も描くようになりました。
昭和30年(34歳)、谷内に突如脚光を浴びる時がやってきます。
描きためていた絵が文芸春秋漫画賞を受賞し、初めて画集が出版されたのです。
それだけではありません。
なんと、翌年(昭和31年)からの週刊新潮発行に当たって、その表紙絵を描く画家に抜擢されたのです。
以来、表紙絵を描き続け、谷内が亡くなるまで25年間にわたり続けられました。
谷内が表紙絵を描いた時期は、日本がちょうど高度成長を遂げる時代と重なっています。
高速道路や鉄道などの社会インフラが続々と建設される一方で、集団就職などで都会に人々が集中し、地方の村々は過疎化が進んでいきました。
各地で公害が問題化した頃でもあります。
古き時代、社会が急速に失われていった時代でした。
ところで、
谷内の絵は現実にある風景を写しとったものではありません。
どれも谷内の中で生み出された風景です。
谷内は自らの作品をこのように表現しています。
『僕の絵はじーっと浮かんでくる目の中の景色をパッと捕まえて描く絵です』
谷内の絵は、子供時代の郷愁を誘う絵です、
そこには子供の切実な気持ちが描き込まれています。
そして、彼の絵は彼が生きた時代を映しています。
だから、谷内の絵を見た瞬間に子供の頃の感覚が鮮やかによみがえるのです。
谷内は、さまざまな画材を使って作品を制作しましたが、高価な画材でなく水彩やクレヨンなどの身近な画材で制作していました。
私は、次のような作品が好きです。
作品「たいそうの時間」
遠くに見える学校の運動場では、体操の時間のようです。
学校からチャイムの音や、体操の放送が聞こえてきます。
まだ学校に上がる前の子供達も、音に促されて体操を始めました。
この後、子供たちは再び何もなかったように自然の中を駆け回って遊ぶのでしょう。
まさに子供の頃にあったような一場面です。
作品「小さな遊園地」
女の子が遊園地にある『回るコーヒーカップ』を作って遊んでいます。
丸テーブルは屋根のテントでしょうか。
私にも近く3歳になる孫娘がおり、時々こんな遊びをしています。
今はおもちゃがたくさんありますが、子供はこんな遊びが好きなようです。
愛おしいですね。
谷内六郎については、下のページで詳しく取り上げていますので、よかったらそちらもご覧ください。
動画はこちら! 谷内六郎 ショート動画
ルイ・ヴィヴァン
1861年7月28日ー1936年5月28日 74歳で没す
ヴィヴァンは郵便局で事務職員として働いていました。
子供の頃から絵を描くのが好きでしたので、余暇に絵を描いていました。
いわゆる日曜画家ですね。
28歳のときに、郵便職員展覧会に初めて出品したところ、先述の画商・ウーデにその作品を見出されました。
しかし、その後も郵便職員と絵の制作を両立していました。
郵便局を辞めて、画家に専念し出したのは、59歳になってからでした。
まさに第二の人生のスタートですね。
私は次のような作品に惹かれています。
ヴィヴァンの作品1
ヴィヴァンの絵は、下絵の線を生かして、絵の具を塗ったものです。
この作品はパリ郊外の風景でしょうか、河での水運の様子が描かれています。
遠近や立体感の表現がやや稚拙ですが、かえってドラマティックで、働く人々の心が伝わってくるようです。
ヴィヴァン作品2
こちらは、しゃれた広告デザインのような絵です。
パリ市街でしょうか。
人々は等間隔に並んでおり、また遠近が完全に無視されています。
現実ばなれした、やや不思議な光景ですね。
色合いが素敵な分、不思議さが和らぎ、ちょうどいい感じです。
最後に
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
いかがでしたか?
素朴派ーいいでしょ!ファンになったのでは!
ところで、私も、美大などを出ていません。
なので、こんな方々を知ると本当に元気づけられます。
現代の素朴派さん、共に頑張りましょう。
こんな風に、これまでにいろんな画家や作品を紹介しています。
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