作品”「クリスティーナの世界」を深ぼる”と題し、ワイエスの代表作が生まれた背景を解き明かします。
草原に横たわる女性は何を?またクリスティーナとはどんな人だったのでしょう。
謎めいた絵ですが、それらが明らかになると、さらにこの作品に引き込まれることでしょう。
ワイエス代表作「クリスティーナの世界」に迫る
アンドリュー・ワイエス作品「クリスティーナの世界」を深ぼる
アンドリュー・ワイエス 1917年 – 2009年
アンドリュー・ワイエスについては、次のページでも詳しく解説していますので、是非ともお立ち寄りください。
今回は、ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」中心に解説します。また作品誕生の背景となったオルソンハウスについても解説しています。
これを読んでいただくと、もっとワイエス作品を好きになりますよ。
作品「クリスティーナの世界」とは
この作品は現代アメリカの具象絵画の象徴と言える、ワイエスの代表作です。
1948年、ワイエスが31歳のときの作品です。

この絵に描かれているクリスティーナ・オルソンは、病気のせいで足が不自由になっており、歩くことができませんでした。
彼女が家に向かって草原をはいながら進む姿をワイエスは時々見かけており、絵にもしていました。
しかしこの日、オルソン家の上階から見た彼女は何かが違っていました。
彼女は、普段着とは違う、お気に入りのピンクのワンピースを着ていたのです。
その姿を見てワイエスは心を震わせました。
ワイエスは、急いで家に帰って最初のスケッチに取り掛かったとされています。

ワイエスは妻のベッツィに彼女と同じポーズを取ってもらいながら、この作品を仕上げています。
特に指先については、何度もスケッチを繰り返しています。
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そして、実際の絵では次のような配慮がなされています。
まず、距離感を強調するように家と草原以外は画面から消し去っています。
さらに構図面では!
女性は対角線上に配置され、家に向かっている動きを感じさせています。
また、女性の目はちょうど画面中央に配置し、自然と見る人の視線がそこに向かい、女性と一体になったように感じさせています。
テンペラ独特の柔らかくて、鮮やかな色調がたまらないですね。
ちなみに、絵ではクリスティーナは若い女性ですが、実際はこの時55歳になっていました。

ワイエスとオルソン家
ワイエス家は父の時代から、夏の間はアメリカ東海岸・カナダとの国境付近にあるメイン州の別荘で過ごしていました。ワイエスはこの地で、オルソン姉弟と出会い、「クリスティーナの世界」をはじめとする数々の名作を描きました。
オルソン家のクリスティーナ
19世紀の終わり頃、スウェーデン人ヨハン・オラウソンという船乗りが、クッシング(メイン州)の地に定住します。
その際に名前を英語風にジョン・オルソンと改めます。
彼はハーソン家の世話になり、その娘ケイトと結婚、やがてアンナ・クリスティーナが生まれます。
その翌年にアルヴァロが、そして、次男、三男と続きます。
クリスティーナは若い頃から体に障害がありました。若いときには普通に歩くこともできましたが、年齢を重ねるごとに手足が不自由になったようです。
病名は早発性シャルコー・マリー・トゥース病でした。この病気は遺伝性の進行性神経疾患です。まず筋力低下が下腿(もも)から始まり、それから脚の上の方に広がっていきます。
彼女は、障害を持っていましたが、強い自尊心を持ち、思慮深く人に頼らない誇り高い生き方をしていました。
クリスティーナとの出会い
ワイエスが初めてオルソン家を訪れたのは、1939年(ワイエス22歳)です。
まず妻となったベッツィとの出会いから始まります。
ワイエスが、絵を購入してくれた方に会うために彼の自宅を訪問した際、不在の父に代わって対応したのが娘のベッツィでした。
彼女はその時まだ17歳でした。
ワイエスはベッツィを見そめて、すぐさまこの辺を案内してくれるよう頼んだのです。
彼女は、初めて会ったワイエスを年の離れた友人、ティーナの住むオルソン家に案内したのでした。
このティーナこそ、ワイエスにとって、その後の彼の画家としての名声を左右する最も重要なモデルとなったクリスティーナ・オルソン(46歳)でした。
ベッツィは自分が親しくしているクリスティーナと、その弟アルバロ(45歳)に対してワイエスがどんな反応を示すかで、彼の人となりがわかると思ったのでした。
それにしてもベッツィは、どのようにして、この年の離れた二人と知り合い、惹かれて行ったのでしょう。きっとクリスティーナ、アルヴァロともに素敵な方であったと想像します。
素晴らしいエピソードですね。
ワイエスも、クリスティーナたちもお互いを気に入り、この日以来、ワイエスはオルソン家に自由に出入りできる仲間となりました。
ワイエスがこの家を訪れるようになって30年近くが過ぎた頃、クリスティーナの身の回りの世話をしていた、弟アルヴァロは重い病に犯され、1967年に療養施設へと移りました。
彼はクリスティーナのことを心配して、施設から抜け出したこともあったようです。しかし、その年の暮れに亡くなりました。
姉クリスティーナも1月ほどした翌1968年1月に弟の後を追うように74歳で亡くなくなっています。
オルソン家を描いた作品
ワイエスはメイン州のこと、オルソン・ハウスのことを次のように語っています。
「メインは、まるで月の表面をいくようなものだ。物は月の表面にただぶら下がっていて、風が吹けば飛ばされてしまうような感じがする。メインでは、あらゆるものが、ものすごいスピードで衰えていく。メインへ行くと乾いた骨や干からびた筋肉を感じる。オルソン・ハウスはメイン州のシンボルだ。まるで屋根裏部屋でひび割れた骸骨が、かたかた音を立てているような印象がある」
この言葉から、メイン州、そしてオルソン・ハウスはワイエスの芸術魂を刺激する貴重な存在であったことが伺えます。
オルソンハウスと戸外
この絵は、オルソンハウスの窓からの風景です。
クリスティーナがいつも座っている台所は両側に窓があり、手前の窓を通して向こう側の窓の外に海まで見渡すことができました。
作品「ゼラニウム」では、ボサボサの髪で青い縞柄のシャツを着ているクリスティーナがわずかに見えます。
窓際に置かれたゼラニウムの赤い花が、印象的です。
ゼラニウムの花言葉には「真の友情」があります。作品タイトルをゼラニウムとしていますが、ワイエスの思いが託されているのかもしれません。


クリステーナ・オルソン
クリスティーナは生涯独身でした。
しかし、まだ歩くことのできた若いときには、恋もしたようです。
障害の程度が重くなると、すぐ近くのオルソン家の墓地より遠くへ出かけることもなくなっていったようです。
この作品もいいでしょ。

作品「オルソン家」でクリスティーナの胸に抱かれているのは、オルソン家で飼われていた猫です。
ワイエスは犬を描くとは度々ありましたが、猫はほとんど描いていません。
左が、59歳、右が最晩年74歳の肖像画です。彼女の孤独感と共に、存在感や意志の強さも描かれています。
オルソン嬢![]() |
アンナ・クリスティーナ![]() |
弟 アルヴァロ・オルソン
ワイエスが、オルソンハウスを初めて訪れたとき、この家の住人はすでにクリスティーナとアルヴァロの兄弟だけでした。
ワイエスがオルソン家に出入りするようになった頃には、漁業や農場経営で栄えたこの家は、既に昔の輝きを失い、徐々に衰退の始まりを迎えていました。
アルヴァロは、年と共に不自由な体になっていく姉の世話をしながら、生計を立てていましたが、次第にそれだけで精一杯になっていました。
ワイエスは、そんなアルヴァロの生き様に惹かれ、モデルにしようとしたようです。
しかし、控えめなアルバルはなかなか思うようなポーズをとってくれずに断念しています。残念ながら、テンペラで描かれたアルヴァロの作品はこの「オイルランプ」だけとなりました。

オルソンハウスの屋内
オルソンハウス内部はこんな様子です。
作品には、クリスティーナを取り巻くオルソンハウスの要素がふんだんに盛り込まれています。
作品「煮炊き用薪ストーブ」では、クリスティーナは、画面左側で窓の外を見ており、ドアが開け放たれています。足が不自由な彼女にとって、訪問者をいつでも迎え入れる配慮であったようです。
右の窓際には彼女の好きな赤い花をつけたゼラニウムが並べられ、アルバロが座る椅子があり、そして床にはバケツと猫が、さらに部屋の中心には煮炊き用薪ストーブが鎮座しています。
作品から、ワイエスがクリスティーナの一家をそしてオルソンハウスを愛していたことが伝わってきます。
メイン州は緯度上では北海道北端に相当し、冬場は寒さの厳しい土地です。ましてや、古いこの家では熱がすぐに逃げてしまうため、このストーブは彼女たちの命を維持していくために欠かせない存在だったことでしょう。
薪ストーブの存在感が半端ないですね。

オルソンハウスは、大屋根の母屋と母屋に付属した平屋からなる構造で、台所とアルバロの作業場は平屋部分にありました。
作品「続き部屋」では、アルバロの作業場側からドア越しにクリスティーナが座る台所を描いています。そしてさらに奥にも部屋が見て取れます。
小さな猫のシルエットが奥行き感を強調しています。

下の作品は、オルソン姉弟が亡くなって以降に書かれた作品です。題名の通り2人を強く暗示している作品です。
光が射して明るい側に青いドアがあり、その向こうでいつもクリスティーナが座っていました。一方、暗い影の中に沈むドアがあり、そこを開けるとアルバロの座る椅子が置かれていたのです。

オルソン家の建物
この広い家をクリスティーナとアルヴァロの2人は1階部分だけを使って生活していて、2階から上をワイエスが自由に使わせてもらっていました。
2人が亡くなった後の夏もワイエスはここを訪れ作品を描いています。
オルソンハウスはしばらくしてオークションにかけられ人手に渡りました。
その後の約20年間に所有者が何人か変わりましたが、ついにApple社の元CEOジョン・スカリー夫妻に買い取られ、1991年に地元のファーンズワース美術館に寄付されました。
同美術館によって管理・公開され、2003年にはアメリカで国定文化財史跡保存建造物に指定されました。
私自身、かねてから聖地巡りをしたいと思っているところです。


最後に
「クリスティーナの世界」はいかがでしたか。
ここまで読んでいただいた方は、もうワイエス通ですね。
今後とも、共にワイエスを楽しみましょう。
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