沖縄の原風景”竹富島を描く”旅に出ませんか!
もう竹富島へ行かれましたか?
「琉球赤瓦に白い漆喰」、「サンゴの石垣にハイビスカス」そして「白い砂浜」。
ここ竹富島では全身が沖縄文化に包まれます。
素敵な風景と自作絵画をご紹介しますので、あなたも「風景画の旅」へ。
竹富島の美をめぐる『風景画の旅』
沖縄の原風景”竹富島を描く”
日本最南西端にある八重山列島。
その一つが、竹富島です。
石垣島まで、LCCが飛ぶようになって大変行きやくなりました。
石垣島から日帰りで行けますが、泊まってもいいですね。
近くには『海を渡る牛車で有名な西表島』など魅力的な島がいくつもあります。
竹富島の巡り方
竹富島の概要
竹富島はサンゴ礁の石灰岩化したものが隆起して生じた、標高33mの低島です。南北にやや長い、楕円のような形をしています。
周囲は約9kmで、人口は360人ほど。近年の八重山列島への移住ブームなどの影響で、人口は増加傾向にあるようです。
東集落(アイノタ)、西集落(インノタ)、仲筋集落(ナージ)の3つの集落が島の中央部から北西部にかけて位置しています。
交通手段
石垣島から竹富島へは、フェリーで渡ります。
「八重山観光フェリー」と「安栄観光」2社のフェリーがそれぞれのスケジュールで朝7時半頃からから夕方18時まで、両方で1時間に2便くらい就航しています。
所要時間は10分程度ですが、他の離島への通過地点でもあるため、ピークシーズンには予約をしておいたほうが安心です。
帰ってこれなくなると大変ですしね。
島内を自由に回る交通手段は、徒歩かレンタサイクルくらいです。巡回バスもあるようですが‥。
集落のあたりは、砂が敷いてあるので、自転車こぎは若干大変でした。また、浜まではやや距離があるのでこれも。
電動自転車のレンタルがあるようですので、体力に不安のある方はそちらをご利用ください。
竹富島の歴史
先史時代~12世紀頃まで
八重山列島の先史時代は、発掘された遺跡から主に有土器時代と無土器時代に分けられています。
沖縄本土は大和と同じように縄文時代と弥生時代に分けられますが、八重山は違っています。
有土器時代の石器の形は南方系でみられるような形のものが多く、八重山のルーツはフィリッピンなど南方系の民族が渡来してきた人たちと考えられています。
そりゃー。台湾のすぐ近くですものね。
竹富島には、有土器時代の遺跡や、無土器時代の遺跡が発掘されておらず、人の住み始めた時期が不明確ですが、周辺の島々の遺跡から竹富島にも先史時代から人々が住んでいたと想定されています。
その後、八重山列島には、按司(アジ)時代、城(グスク)時代(12~16世紀)という時代がありましたが、竹富島に歴史上初めて登場するのは、他金殿(タキドゥン・14世紀〜15世紀)と言う人物です。
琉球からきた他金殿が、竹富島北方のイシャーフチ(礒の口)に到着、湧水を発見して花城井戸を掘り、その周りに新里村を築いて住みつきました。
記録では、これが竹富島の始まりとされています。
この後、タキドゥンの島、いつしかタキドゥン島、タケトミ島となったと言われているようです。
現在の竹富島
竹富島には、素晴らしい自然環境、街並みの美、数々の文化遺産(芸能、古謡、織物、祭事など)が継承されてきています。
近代化に伴いこれらが失われかねない事態にもなりましたが、1986年に島民たちで町並みを保存するための『竹富島憲章』を制定し、島の文化的景観や伝統文化を守り続けています。
ところで、ブラタモリでも竹富島を取り上げていましたね。
番組では、地元の方々が祭事を大切に守っている様子に焦点を当てていました。
現在は、以前よりもだいぶ簡略化されているようですが、それでも私にとって驚かされることばかりでした。
このような住民のご努力のおかげで、現在も八重山の美しい風景と伝統文化を楽しませてくれているのですね。
竹富島憲章
同憲章には「売らない」、「汚さない」、「乱さない」、「壊さない」という島を守るための4原則が記されています。
これに、島の伝統文化と自然・文化景観を観光資源として「生かす」を加えて5つの基本理念としています。
さらに、伝統文化を大切にする精神や来島者を接遇する際の心構えも謳われています。
素晴らしいですね。
水道記念碑
1976年に、石垣島から竹富島までの間に海底送水管が敷設され、水確保の苦労から解放されました。
それまで、竹富島の住民は雨と井戸を頼りに生活してきました。
水があったため人が住み始めましたが、人口が増えた中で安定した水量を確保するため、かなりご苦労があったようです。その祭事も残されています。
「水の大切さを忘れないように」との思いで、記念碑が建てられました。
竹富島小中学校
小中学校兼用の建物です。素敵な学校でしょ。
島内に高校はないので、高校からは、親元を離れ、石垣島や沖縄本島の学校に入ります。
『BEGIN』が石垣島にある八重山高校出身者です。
ビギンの歌では、『防波堤で見た景色』が最も好きです。
竹富島のおすすめ風景
① 街並みの美しさ
”竹富島を描く”
街並みの美しさとその理由
街の美しさは次の4つに代表されます。
- 民家は、赤瓦を使用した木造平家でほぼ統一されています。
その赤瓦には瓦の固定のため、白い漆喰が筋状にぬられており、赤白のコントラストが魅力的です。
このあたりは、台風の通り道であるため、暴風対策として瓦が漆喰で固定されています。これなら飛ばないですよね。
屋根の上にはかわいいシーザーが置かれています。 - 街路に白砂が敷かれている
- サンゴの石垣が多く残っています。
この石垣も暴風対策ですが、野済みの荒々しい石の姿に自然の厳しさを感じます。 - ハイビスカスやブーゲンビリアが石垣を飾っています。
街並みは、1987年に重要伝統物建造群保存地区として選定されました。
先程の竹富島憲章を元にしっかりとこの景観を守っています。
赤瓦の由来
竹富島の屋根は元は茅葺ぶきでした。赤瓦の家屋が最初に建てられたのは1905年のことで、その後、徐々に茅葺屋根から赤瓦の屋根に変わっていったとのこと。
琉球地方の赤瓦は18世紀になって作られるようになりました。酸化鉄によって赤色化したものです。主に、首里城などの王府・役所の建物や、神社などに用いられてきました。
明治の中頃から一般の建物にも瓦葺きが許されて広まって行きました。
なごみの塔からの景色
なごみの塔は西集落のほぼ中央に位置し、高さ6mの石垣上にある、高さ4mの鉄筋コンクリート造りの展望台でした。老朽化のため2016年に一旦閉鎖になっています。
一人しか登れない、こじんまりとしたものですが、そこがまた魅力でした。
島の地面は凹凸が少なく、建物はほとんどが平家なので、こんなふうに見渡せました。
サンゴの石垣とハイビスカス
水牛車で観光
水牛車で民謡を聴きながら、集落をめぐるのもオツなものです。
こんな風景画を描きました
竹富島では、なんといっても赤瓦屋根とサンゴの石垣に最も惹かれました。
油彩の2作品です。
② 浜の美しさ
”竹富島を描く”
西桟橋
1938年に建設された最初の近代的桟橋です。長さ105m 幅 4.4m
石灰岩を乱積みして、コンクリートで固めています。
竹富島では十分な農耕地を確保できなかったため、西表島に出向き水田を作っていました。
そのための帆船の船着場に利用されていました。
現在は、桟橋としては使用されておらず、夕陽の名所になっています。
コンドイビーチ
コンドイビーチは、遠浅で波もなく、ファミリーの水遊びにおすすめです。
無料の更衣室やシャワーがあります。
ここでは干潮の時に幻の島が現れます。遠浅なので、そこまで歩いて渡れます。
小魚がたくさん泳いでおり、黒いなまこも結構見かけました。🤗
とにかく白い砂浜が強烈な印象です。
アイヤル浜
島の東側にあり、潮の流れが早くて危険なため遊泳禁止になっています。
ここのおすすめは、石垣島が蜃気楼のように陽炎に漂うシーンです。最初は台湾かも、なんて思ってしまいました。
なんとも幻想的でした。
カイジ浜
カイジ浜は『星の砂』で有名な場所です。
『星の砂』はアイヤル浜でも取れるようです。
砂浜で星形をした砂粒を見つけてください。
この浜も沖合は潮の流れが早いので、遊泳禁止でした。また、浜に砂利があったり、岩がゴツゴツと路頭しているので、海水浴には不向きかと思います。
泳ぐには、なんと言ってもコンドイ浜がベスト。
ただ、浜と樹木の美しさでは、ここが1番でしょう。
最後に
竹富島はいかがでしたか。
私は、台風シーズンが終わった11月初めに行きました。暑い持期は過ぎていましたが、コンドイビーチで泳ぐことはできました。
一般に、日本の南方地域は、台風が多く、5月頃は雨も多いです。スケジュールが狂いやすいので、ご注意ください。また、冬はどんよりとしていますし、夏は暑い。
なんて言うと行く時がなくなりますね。
出来ることなら、時期を良く練って、日程に余裕を持っていかれることをおすすめします。
島に訪問される時、
島にはコンビニなどなくて簡単に食べ物や備品などを買えないので、ご注意ください。
食堂はポツポツと見かけましたので、定番ですがゴウヤチャプル定食を美味しくいただきました。
Youtubeにも投稿
竹富島の風景と自作絵画を動画にしてyoutubeに投稿しています。
よろしかったら、そちらも覗いてやってください。
過去の投稿
奄美大島も同様に記事にしています。
世界遺産の奄美にはまた違った良さがあります。お見逃しなく。😊
他にもいっぱい投稿していますので、旅好き、絵画好きの方に是非ともご覧いただきたく。
他にもいろんなカテゴリーの投稿をしています。
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