日本画家”後藤純男”さんをご存知ですか。
仏門に生まれ、少・青年期には仏道の修業をしています。
そのため、後藤作品には独特の感性が注ぎ込まれています。
後藤さんは平成末まで存命で、数々の素晴らしい風景画を残しました。
後藤さんの人生と絵画作品をたどります。
衝撃の日本画家、後藤純男の美とは!
日本画家、後藤純男(スミオ)1930年1月21日〜2016年10月18日
私が、後藤画伯を知ったのは、亡くなった直後の回顧展だったと思います。
何かの案内でそれを知り、千葉で開催されていた展覧会を訪問しました。
そして、作品を拝見し大きな衝撃を受けました。
というのも、私が求めていた世界がそこにあったからです。
どうしてこれほどの画家をこれまで知らなかったのだろうと、本当に残念に思いました。
私が惹かれたのは、後藤作品の「優しく、凛とした佇まい」です。
僭越ですが、私自身もいつかはそんな絵を描きたいと思って精進しているところです。
皆様もきっと、後藤さんをお気に入り画家に加えることと思います。
まず、後藤さんの生涯をたどってみましょう。
画家になるまで
1930年:千葉県関宿町の真言宗の仏門に生まれました
子供の頃から絵に強く興味を抱いており、将来は画家になることを望んでいました
(13歳頃)真言宗の修業を始め、この後10年、修業を続けています
1945年(15歳):太平洋戦争の敗戦
1946年(16歳):山本岳人に師事します
1949年(19歳):岳人の紹介で田中青坪(せいひょう)に師事します
1952 年(22歳):第37回院展に作品『風景』が初入選
この年、後藤さんは仏道か画道かの2者択一を迫られ、「仏道を捨てた」と自ら語っています
1955年頃から、真言宗各寺を巡り歩いて写生しています
1960年(30歳):憧れの地であった北海道を初めて訪問します
この後も集中的に北海道に写生旅行に出かけており、次の言葉を残しています
「その頃、深く印象にあったのが、層雲峡へ行った時なんですが、厳しい自然によって創られた、滝や渓谷を前にして、ポツンと一人いる時、人間の小ささ、自分の小ささを強く思い知らされたことでしょうね。自然の偉大さに胸を打たれたというのでしょうか、貴重でした。」
1979年(49歳):初めて中国を旅します
中国での取材の思い出を次のように語っています
「それまで日本で描いていた時は、実際のところ修業僧のような行者のような気持ちだった。しかし、中国の事物、風景、大自然に接すると、その自爆がなくなっている。開放された気持ちで眺められる。だから、中国に取材した制作は、解放感で描くことができた。」
1984年(54歳):大腸の潰瘍で多量の出血、危うく命を落とすところでした
大病を経験した後に、次のように語っています。
「人間はどんなに厳しく生きようとしても限界があるし、せっかくまた命を与えられたのだから、楽しく描いてもいいではないか
以来、そう思って、その考えで描いている」
1991年(61歳):北海道の富良野町にアトリエを構えます
2016年(86歳):敗血症により亡くなりました
敗血症とは、体内で何らかの感染症を起こしている細菌が増殖・炎症を起こして、臓器に障害を引き起こす病気とのこと。
高齢者が罹りやすいようですが、年齢性別を問わず誰にでもかかる病気だそうです。
ご注意ください。
後藤純男が作品にかけた思い
冒頭でご紹介したように、後藤さんは真言宗の仏門に生まれ、少・青年期には仏道の修業をしています。
美術家の奥谷茂雄さんは、後藤さんにとって仏道の修業と画業とは切り離せない関係にあると、次のようにコメントしています。
「『個性に始まり個性に終わる』のが芸術行為である。その個性はその人の過去のありようと密接に関係しながら形成されていく。
ならばこそ、感性の鋭い、いわゆる精神形成期にどんな環境のもとで育ったのか、そこで何を見、何を考え、何を感じ取ったかなどは、その芸術を特色づける基本的なファクターとして見逃せないものとなってこよう。
後藤画伯の場合も、その個性の根底には、仏教的ないし宗教的なものの見かた、考えかた、感じかたが刷り込まれていたとしても不思議はない。
それゆえに私たち見るものの情操を純化、かつ清涼な気分にいざなっていくのだと思う」
後藤さん自身も、こんな発言をしています。
「私の場合、滝や渓谷を描くのと寺の構造物を描くのとは、意味合いが全く同じなんです。
何百年もの風雪に耐えて存立する建物、荘厳さとでも申しましょうか、その時代時代に多くの人々の様々な犠牲があったのでしょうし、その人間たちの思いが、また感動を呼ぶのかも知れません。」
さらに、
「小さい時から寒気に耐える、厳しい生活に打ち勝つ、それが自分の生き方で、絵を描くのにも、自分を厳しいもので縛ろうとしていた。緊張が、だからいつでもあった。」
後藤さんの絵を拝見した時、私もこのような強い緊張感を味わいました。
後藤純男の作品
後藤さんの主なモチーフは次のとおりです。
- 古都の風景
- 北海道の風景
- 中国の風景
絵の特徴
後藤さんは風景を描くとき「季節、時間、天候といった自然現象の移り変わりの機微と、万物が物象として光を放つ様」を大事にしました。
そして、後藤さんは「それらを心象として捉えて造形化した」と語っています。
美術評論家の草薙奈津子さんが、その表現方法について解説してくれました。
「60年代から70年代の自然の風景、あるいは堂塔伽藍を描いた後藤作品に共通した特徴は、金を盛んに用いていることである。
水平方向に流れる金の輝きが、画面全体の空気を支配して後藤純男独自の世界を生み出した。」
と語っています。
そして草薙さんは、金を使うことに関して、その装飾的な効果よりも精神的な作用に注目しています。
「金は単なる輝きではない、光明なのである。だから古来より宗教画に多く使われてきたのである。」
また、次のようにも
「一方、彼の作品は青を基調とする場合が多い。
日本人に、『自然の色は』と尋ねると、『青色』と答える人が圧倒的に多いともいう。古代から連綿と続く日本人の感性を後藤純男は今に受け継いでいる。」
そして、
「深く暗い青や緑の中から浮かび上がる金の輝きは、この作家の作品に宗教的崇高さをもたらす。と同時に日本人の美的感性に訴えかける。」
草薙さんのコメントは、後藤作品のポイントをうまく表現していると思いましたので、引用させていただきました。
それでは、後藤作品をいくつかご紹介させていただきます。
作品についての、詳しく解説は遠慮させていただきます。
仏塔伽藍の作品
雪景色の作品
北海道の自然の作品
中国の風景の作品
後藤純男美術館
後藤さんは、1991年に富良野町にアトリエを構えておられます。
そのご縁もあり、1997年に当地に後藤純男美術館がオープンしました。
2002年には新館が完成して展示室が拡充されています。
1階に6室の展示室と素描展示室があり、2階に十勝岳連峰を望めるレストランがあります。
後藤さんの世界が満載ですので、富良野に行かれた際には是非ともゆっくりとお立ち寄りください。
最後に
日本画家・後藤純男さんは、いかがでしたか?いいでしょー!
※ 本ページの記述にあたり、書籍「後藤純男の世界」を参考にさせていただきました。
ところで、話は変わりますが、
真言宗とは弘法大師が平安時代に大成した真言密教の教えを継ぐものです。
真言宗の修業を通じて、後藤画伯もきっと強いパワーをもらったことでしょう。
弘法大師が生まれた香川県に住む私にとっても、真言宗は馴染み深い宗教です。
私事ですが、我が家は40年ほど、毎年正月に郷照寺という真言宗のお寺で、家族全員が祈祷を受けています。
この寺は本当に零元新たか(れいげんあらたか)で、友人に必ず勧めています。
よかったら、皆様も祈祷を受けてください。きっと、悩みやトラブルがスムーズに解決しますよ。🤗 余談でした。
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