”花森安治はこんな画家”室内画が超オススメ、女性画や風景画も

花森安治はこんな画家

”花森安治はこんな画家”と題し、雑誌『暮らしの手帖』に掲載された花森の表紙画を取り上げます。

花森の表紙画を見たことがありますか?

花森は『暮らしの手帖』の編集長兼デザイナーで、30年間に渡り表紙画を描きました。

それらは今も色あせずに感動を与えてくれます。

暮らしの手帖と花森安治

花森安治(はなもりやすじ)

1911年(明治44年)10月25日〜1978年(昭和53年)1月14日

花森は、戦後間も無く女性に向けて創刊された雑誌『暮らしの手帖』において、30年間初代編集長を務めた人です。

注目すべきは、その『暮らしの手帖』に掲載された美しい表紙画です。

すべて花森が描きました。

私は花森の生誕100年を記念する展覧会で花森の表紙画を観る機会に恵まれ、感動をもらいました。

皆様にも感動をお届けするため、表紙画への花森の思い、私の好きな室内画などについて記載します。

花森安治はこんな画家 花森が30年間、
思いを込めて描いた作品の一部です。

花森安治はこんな人

花森は、6人きょうだいの長男として神戸で生まれました。

父は貿易商、母は小学校の教師でした。

父は資産家でしたが、株や相場で財産をなくし、母が家計をやりくりしていました。

そのためかどうか分かりかねますが、母は39歳(花森が19歳)で亡くなっています。

花森は子供の頃、利かん坊で物おじしない性格でした。

しかも、絵の才能がありました。

宿題の絵があまりにも見事なので、教師は親が手伝った作品と疑ったほどです。

その後も好きな絵を描き続け、1933年(22歳)には東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学しています。

花森の少年期の日本は、戦争特需で潤った時期でした。

しかし、卒業と同時に日中全面戦争が、そして1941年(30歳)に太平洋戦争が始まり彼の人生が、そして人生観も一変します。

1945年には敗戦の日を迎え、花森は新たな人生をスタートすることになります。

花村は翌年の1946年に大橋鎭子さんらと銀座に衣裳研究所(後に『暮らしの手帖社』に社名変更)を設立します。

その時に次のように語っています。

「もう二度と、こんな恐ろしい戦争をしない世の中にするためのものを僕は作りたい。一人ひとりが自分の暮らしを大切にしていたら、戦争にならなかったと思う」

過去の戦争の経緯について十分に理解できてはいませんが、日中全面戦争あたりからの日本は現在のロシアとウクライナの状況に似ていたのではないかと感じています。

プーチン大統領は「ウクライナ内の親露派の人々をネオナチから守るため」という名目で戦争を始め、ロシアの大半の国民がその主張を支持しています。

しかし私にはどう見てもこの戦争に正義があると思えません。

ロシア国民も今、経済制裁で痛手を受けています。多くの兵士が亡くなっています。

一人一人の暮らしを大切に考え、ロシア国内からも戦争反対の声が上がってほしいものです。

すみません。話を戻します。

暮らしの手帖とは

花森と大橋鎭子さんらが、1948年9月に女性に向けた雑誌「美しい暮らしの手帖」(後に『暮らしの手帖』に改名)を創刊しました。

当初は季刊(年4回)でしたが、1968年(昭和48年2月)の93号から隔月刊(年6回)で発行されてきました。

驚くことに今も現役の雑誌です。

この雑誌が何よりも素晴らしいのは、広告を取らない雑誌であるという点です。

「言論の自由を守り、紙面の美しさを保つこと」がその理由です。

戦争を経験した、初代編集長・花村の並々ならぬ思いが伝わってきます。

花森は、1978年(66歳)に亡くなるまで、この雑誌の編集長を務めました。

初刊にそえられた言葉
美しいものは、いつの世でも、お金やヒマとは関係がない
みがかれた感覚と、まいにちの暮らしへの、しっかりとした眼
そして絶えず努力する手だけが
一番うつくしいものを、いつも作り上げる

表紙画に対する花森の思い

花森は、「暮らしの手帖」において、編集長として衣食住の実用記事や商品テスト記事など、さまざまな記事に携わっており、時には庶民の立場で国や企業の姿勢を糺してきました。

一方、紙面のレイアウトや表紙画を手掛けるデザイナーでもありました。

表紙画は、その号の編集があらかた終わった頃に「今日は、表紙を描くぞ」と宣言して取り掛かりました。

いつも「立入禁」の札をはった個室にこもりっきりで描き、未完成の絵には布をかけて出来上がるまで誰にも見せないようにしていました。

表紙はその雑誌の顔であり、商品なので、特に思いが強かったようです。

さぞかし苦労されたことでしょう。

私はこんな絵が好きです

花森は美について、つねづね二つのことを言っていました。

  • 暮らしと結びついた美しさが本当の美しさ
  • 人の手から作られるものの美しさ

そんな花森の表紙画をご紹介します。

花森は、水彩、クレヨン、コラージュなど、さまざまな画風や技法で原画を描いています。

表紙画ですので、タイトル文字などを入れることを想定して構図を決めたと言われています。

花森の絵は室内画、女性画、風景画、デザインなどに分類されます。

私は、室内画、女性画、風景画が好きです。

花森安治の室内画

初期の頃の表紙には室内画が頻繁に用いられています。

花森作品の中では、私はこれらの室内画が最も魅力的だと思っています。

室内の風景だけでも、これだけ人を惹きつけられることに驚いています。

戦後間もない頃には、読者は、さぞかし衝撃を受けたことでしょう。

花森安治はこんな画家
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花森安治の女性画

独特の女性画ばかりです。

おしゃれで可愛く、芯がある女性、そんな感じがします。

現代でもこんな絵を描く人が多いのでは。

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花森安治の風景画

海外の建物を描いた風景画が多いようです。

私もそんな風景が大好きで時々描いています。

花森作品には風景に人が描かれていません。

しかし、人の住む建物に、人の温もりを感じさせてくれます。

花森安治はこんな画家
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最後に

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

花森は58歳の時に心筋梗塞で倒れます。

ちょうど100号発刊の時期で、病院に資料を持ち込んで100号を完成させたとの逸話があります。

この時、花森は次のように語っています。

「僕は死ぬ瞬間まで編集者でありたいと願っています。その瞬間まで——現役の編集者でありたいのです」

言葉通り、回復後も仕事を続けていましたが、66歳の冬に心筋梗塞が再発して亡くなります。

まだまだやりたかったでしょう。

ただ、私には羨ましき人生です。

この本を参考にさせてもらいました。ありがとうございました。

もっと作品をご覧になりたい方は、次の本をご購入ください。

花森安治のデザイン 『暮しの手帖』創刊から30年間の手仕事 [ 花森安治 ]

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感想(7件)

ところで話は変わりますが、同じ頃に週刊新潮の表紙画を描き続けた画家がいました。

週刊新潮の谷内六郎も魅力です

谷内六郎の描いた表紙画は、大半が室内画と風景画です。

谷内の作品には、人が描かれることが多いです。

子供の頃の情景が鮮やかに蘇るような作品ばかりです。

この方の絵も大変魅力的です。

花森安治はこんな画家
週刊新潮・谷内六郎作

次のページで取り上げていますので、お立ち寄りください。

”谷内六郎”はこんな画家!子供の頃の感覚が鮮やかに蘇る絵


こんな風に、他のページでもいろんな画家を紹介しています。風景画家が多いです。

是非ともこちらを覗いてください。

私のおすすめ画家

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「風景画の旅」と言うテーマで、国内外の風景と自作絵画を動画にしてご紹介しています。

こちらもお立ち寄りください。お気に入りのモティーフが見つかるかも!

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グランFgranf1765
第二の人生に入り、軽い仕事をしながら、風景画を描いて過ごしています。現役の時に絵画を始めてから早10年以上になります。シニアや予備軍の方々に絵画の楽しみを知っていただき、人生の楽しみを共有できればとブログを始めました。