”民話を風景画に”したら、面白いだろう!
自由で個性的な絵を描く練習にもなるのでは!
そんな発想から、香川県坂出市に伝わる「城山(きやま)長者とくるま道」をもとに、10点の風景画を描きました。
昔に思いをはせ、自由に絵を描くってこんなに楽しいんですね。
絵の出来・不出来はさておき、そんなところを楽しんでいただくと幸いです。
民話「城山長者とくるま道」を絵に
”民話を風景画に”
これからご紹介させていただく作品は、「かがわ文化芸術祭」(2017)への出品を契機に制作したものです。
この文化祭のテーマを要約すると「民話から巨大な芸術作品を作る」というもので、絵画でも立体作品でもokでした。
当時の絵画教室の先生から進められ、私も何か応募しようとは決心したのですが、自由な発想に欠ける私にとっては極めて難問でした。
私が長くやってきたのは写実的な風景画くらい。若い方のようなアニメティックな絵など絶対に無理。
そうだ、風景画を何枚も描いて一つの巨大な作品にしてはどうか!
昔の風景は誰も見たことがないので、自由に描く勉強にもなるだろう!
こんな具合でスタートした次第です。
そして早速、民話選びに取りかかりました。
どうせなら故郷の坂出市のもので、風景画を描けそうなもの。
ということで、「城山長者とくるま道」という民話を選びました。
民話「城山長者とくるま道」とは
民話「城山長者とくるま道」とは、かいつまんでこんな話です。
昔々、城山(きやま)の頂上に長者が立派な家をたてて住んでおった。
長者はたいそうな金持ちで、なんでも自分の思うことが叶えられたそうな。
ただ長者にはどうにもならないことが一つありました。
それは、一人娘の乙姫様のことです。
大変に美しい姫でしたが、気の毒なことに姫は生まれた時から足が悪く、立つこともできなかったのです。
都から立派な医者を迎えても、長崎へ良い薬を買いに行かせてもダメでした。
長者は娘を大変不憫に思い、「姫も家の中ばかりでは心も晴れまい。せめてこの山の周りの素晴らしい景色をみせてやりたい」という気持ちが高まってきました。
そこで長者は、姫に城山からの風景を見せるために、「頂上付近をぐるりと囲む二重のくるま道」を作ることを思い立ちます。
長者は陣頭指揮で、大金をつぎ込んでみごとな道を作りました。
完成してから、長者は姫とたびたび散歩をするようになり、姫も素晴らしい景色に触れて大喜びでした。
その眺めは、季節の移り変わり、時の流れとともに色を変えおもむきを変えて、何度見ても飽きない眺めでした。
やがて、そんな噂を村人達が聞きつけます。
そして、美しい姫と素晴らしい風景を見るために、たくさんの村人達が毎日のように登ってくるようになったとさ。
昔の城山の風景を絵に
城山は香川県坂出市と丸亀市にまたがる標高462mの山です。近くに大きな山はなく、頂上からは全周が見渡せ、また北面の眼下には瀬戸内海を望めます。
早速、絵の制作に取り掛かりました。
絵を描く際には、民話の記述を参考にしつつ、平安時代の風景を意識しました。また、東西南北、四季折々の風景を盛り込むようにしました。
さらに、
「昔の人々の生活は大変厳しいものであった」でしょうが、
「当時は手付かずの自然が残り、人々は現代よりも美しい風景を楽しんだであろう」と、そんな思いを秘めながら描きました。
里から城山を望む(初秋)
現在の坂出市加茂町から城山を望んだ風景です。秋口の田んぼの風景を描きました。
白鷺は現在も良く目にします。
山の風景はほぼ実景です。
城山からの南東の風景(春)
下を流れる川は綾川です。
川に沈下橋のような木の橋がかかっています。
私の子供の頃にはまだ大きな橋が少なかったため、人一人が通れるくらいの橋が所々にかかっていました。しかし毎年、大雨が降ると、橋は流されました。
時には、堤防が決壊したこともありました。
城山からの北東の風景(春)
桜の候の瀬戸内側の風景です。
坂出の海は広い範囲が埋立てられていますので、水際のラインを歴史書の記載を参考にして陸側に後退させています。
昔は画面中央の島と陸地の間は、天然の良好であったようです。ここから歴史上の人物が上陸したといわれています。
というのも綾川の少し上流には讃岐国府がありました。今も遺跡の発掘が進んでいます。
城山からの北の風景(初夏)
北面の瀬戸内海の夏の風景を描きました。
昔は城山の直下まで海が迫っていたようですので、そんな風景を絵にしました。流石に紫陽花は咲いていなかったでしょうが。(笑)
瀬戸内海は海上交通が盛んであったようですので、帆船を配置しました。
遠くに見えるのは現在の岡山県です。
城山からの北西の風景(盛夏)
こんな夕暮れの風景を描いてみました。
瀬戸内海の夕焼けは現在も綺麗ですが、昔はもっとドラマティックな夕焼けであったであろうと思い、こんな絵にしました。
城山からの西の風景(秋)
中央に見えるのは通称・讃岐富士と呼ばれる飯野山です。
この辺りの紅葉は、実際にはそれほど鮮やかではありませんが、新宿御苑で見た紅葉を参考にして、自由な色合いに描かせてもらいました。
稲刈りを終えて、藁を燃やす煙を入れました。
雨乞いの祭りの風景
香川県は雨が大変少なく、昔から水不足に苦しんできました。
現在は、高知県にある早明浦ダムから水をもらってしのいでいますが、それでも雨の少ない夏には節水警報が発令されたりします。
これは、祭りの時に雨乞いの踊りを奉納している風景を描きました。
城山からの南の風景(冬)
南の山々が雲海に浮かぶ姿を描きました。
奥に見えるのは、四国山地です。
手前に寒椿を配置しています。
城山からの南の夜景(冬)
先ほども記載しました通り、讃岐は雨が少なかったため、昔から多くの溜池があったようです。
この絵は、雪の積もった日の夜、溜池に月の光が反射している様子です。
当時は夜は真っ暗で月の光も冴え渡ったことでしょう。
「かがわ文化芸術祭」(2017)
”民話を風景画に”
ご紹介した作品は、かがわ文化芸術蔡の一貫で次の催しがあり、制作したものです。
「アートコンポ香川2017 心の目を開け〜さぬきの今昔物語〜」
高松市の城跡にできた玉藻公園に讃岐の民話をテーマにした巨大作品を展示するイベントです。
まず巨大作品制作前に、アイデアスケッチの審査があります。それをパスした者が、スタッフさんと相談しながら巨大作品(平面・立体)を作り上げていくという方式でした。
私は、下の写真のように平面作品として展示しました。
屋外展示ということで、スタッフさんからテント生地にターナー(ネオカラー)で描くように求められました。
しかし、ネオカラーは色数が少ないので困りました。そこで、部分的にアクリル絵の具で描いています。
背景は、アイデアを出してスタッフさんに手配してもらいました。
こんな経験はなかなか出来ないので、大変良い勉強になりました。
スタッフさんたち、ありがとうございました。
民話の歴史的背景
この民話には次のような歴史的な背景があるといわれています。
7世紀の頃、朝鮮半島で政治的な緊張が高まったことから、外来船舶などの監視のため、九州北部、瀬戸内、近畿において多くの山城が作られました。
香川県では屋島と城山の山頂に山城がありました。
その時に作られた城山城の石垣の遺跡が、後に民話「城山長者とくるま道」誕生の背景にあるといわれています。
軍事用の遺産がいつしか美しい話に変わっているところが、大変興味深いですね。
現在の城山頂上からの眺め
現在の山頂からの眺めを写真に撮ってきました。
こんな景色を見れる場所がありますので、一度城山に登ってみてください。
ここまで車でも行けます。
最後に
これらの絵画や風景写真をもとに動画を作成して、Youtubeに投稿しています。
Youtubeの方が画質が綺麗ですので、是非とも覗いてみてください。
こんな作品集のページもありますので、ご覧いただくと幸いです。