”ピエール・ボナールとはこんな画家”と題して、彼の生涯と作品を見つめました。
ボナールをご存知ですか。
この画家の作品は多様ですが、私は親密派と呼ばれるボナールの一面が好きです。
身近な親類、可愛がっている犬や猫、自宅の室内といった、そんな愛すべき存在を絵にしました。
私の好きなボナールを中心にご紹介します。
私の好きなボナールとは!
下の絵は、愛媛県美術館の常設展で見かけたボナールの作品です。
日本画っぽい背景の前に、鮮やかな赤いスカートの女性が描かれています。足元の2匹の犬に動きを感じます。
高さ188cm幅80cmの絵なので、人物はほぼ等身大に描かれています。
いかがですか?良いでしょ!
私は、この作品に魅了されて、すぐにボナールが好きになりました。
まずボナールが育った時代背景や生い立ちから見ていきます。
ボナールが画家になるまで
ピエール・ボナール 1867年10月3日生まれー1947年1月23日(79歳)死去
1867年;パリの近郊の街、フォントネ=オ=ローズに生まれました。
父は陸軍省の要職にあり、ブルジョワ階級、ボナールは3人兄弟の2番目の子供でした。
高等教育からはパリの学校で学んでいます。
パリでは、哲学、文学、語学と共に、素描にも熱を入れていました。
1885年(18歳);大学の法学部に進みます。後に司法試験にも合格しています。
当時、父へ次のような手紙を送っています。
「絵画で生計を立てることは諦めて、空いた時間に真剣に取り組むことにする」
絵画の道に進みたいと思いながらも、父の期待に応えようとする様が伺えます。
1887年(20歳);私立の画塾アカデミー・ジュリアンに登録します。また、美術館で模写を続けるなど、画家への道を諦めきれずにいました。
画塾には後日ナビ派を共に結成したセリュジェ、イベルス、ドニがいました。
1888年(21歳);司法試験に合格し、法学士の学位を取得します。しかしながら、政府職員の採用試験には落ちました。
1889年(21歳);国立美術学校に入学します。政府職員になれなかったことが絵の道に進む一つの動機になったようです。
また、ボナールの父はドラクロワを愛好するなど芸術に対して理解があり、彼の気持ちを後押ししてくれたようです。
ボナールはこの頃の思いを、後にこんな風に語っています。
「自分を惹きつけたのは芸術それ自体というより、芸術的な生き方だったのだ。(中略)単調で退屈な存在となることを逸れたかったのだ」
後述するように、ボナールは若い頃から絵で世に認められるようになります。
この頃すでに、厳しい芸術の世界で生きていける、強い自信があったことが伺えます。
法学を学び遠回りしましたが、彼の画風に大きな影響をもたらせたと思います。
ボナールが生きた時代
ボナールが生まれた19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年・ボナール47歳)までのパリは、ベルエポックと呼ばれ、繁栄し大変華やかな時代でした。
絵画では印象派からポスト印象派へと移っていった時期に当たります。
まさに「華の都・パリ」ですね。
そんな時代に埋もれることなく、ボナールは独自の世界を作り上げました。
また、ボナールは2度の世界大戦を経験しますが、独自の世界観を貫きました。
それでは、ボナールはどんな作品を遺したのしょうか。
ボナールの絵画とは!
ボナールは、まずナビ派の中心人物として絵画人生をスタートします。
ナビ派とボナール
ナビ派とは、1888年10月にセリュジェを中心に結成された集団及びその芸術運動を指します。
「写実」を重んじる美術の伝統に反発し、何気ない日常生活の一場面や目に見えない存在を、平坦で装飾的に表現しました。
目に映る現実と心象を一つの画面に構成して描くという、ゴーガンらの「統合主義」の影響を受けています。
ボナールはナビ派の中でも際立った存在でした。
<<ボナールの言葉>>
「絵画とは小さな嘘をいくつも重ねて大きな真実を作ることである」
確かに!!
浮世絵とボナール
ボナールをはじめ、ナビ派の画家たちが本格的な活動を始めた1880年代後半には、印象派の画家などにジャポニズムがすでに広く浸透していました。
浮世絵版画が持つ、大衆芸術的、民主主義的な平等感や一種のアナーキーさは、当時のパリの時代背景によくマッチしていました。
ボナールも影響を受けた一人でしたが、最もよくその精神を感じ取った画家と言われています。
作品「格子柄のブラウス」1892年
犬を抱いている妹のアンドレを描いています。
ボナールが24歳の時の作品です。早くから、卓越した作品を描いていたことが伺えます。
日本風の格子柄を用いて、装飾性の高い絵に仕上げています。
作品「犬と女」1891年
上と同年代の作品であり、同様に浮世絵に由来する格子柄の紋様が使われています。
また、それに菊の紋様があしらわれています。
また、対角線で動きのある、素晴らしい構図です。
私はこの作品がイチオシです。🤗
親密派のボナール
親密派という言葉は未だ美術史では定着していないようです。
なので明確な定義もありません。
具体的には、こんなモティーフを表現することされています。
- 近い知人、友人との団欒の情景
- ペットの絵
- 家の内外の景色
- 異性間の情愛
ボナールは❶〜❹全てを絵にしていますが、私はボナールの作品では❶❷❸が好きです。
この項では❷ペットの絵をご紹介します。
最近は猫の絵がブームですので、気に入る方も多いのでは。
作品「白い猫」1894年
ボナールは犬や猫を頻繁に描いています。
この作品には、不自然に足の長い猫が描かれています。
ただ、なぜか惹きつけられませんか。
白く足の長い猫が、背景の茶色の幹や緑色の葉っぱと上手く調和しています。
専門家に言わせると「入念に検討された形態と色彩の巧みなコントラスト」だそうです。
確かに、描けそうで、描けないかも!
原点回帰のボナール
1900年代(ボナール30歳代)半ばから第一次世界大戦(50歳代)にかけて、絵画ではフォービズム、キュービズム、ーーーシュールレアリズムなど、前衛芸術運動が真っ盛りでした。
なので、その当時のボナールはすでに第一線から退いたように見なされていました。
ご紹介しませんが、私自信もこの時期のボナール作品をあまり好きになれません。
しかし、ボナールは60歳ころになって、あらためて原点に立ち返り、新たな実験を開始します。
新思潮の台頭に惑わされず、自らの関心に即した画風を求めました。
ボナールは南仏の小村ル・カネに別荘を構え、豊かな自然の中で制作します。
ボナールはその別荘をル・ボスケ(茂み)と名付け、そこでの生活を大切にしました。
この当時、ボナールは次のように語っています。
「自然の魅力にただ付き合うのではなく、それと対峙した自らの感覚と記憶を頼りに色彩を表出させる」
後述する素晴らしい作品でその意味をご理解いただけると思います。
私自身が求めるものも、こんな絵であると思っています。
第一次世界大戦後の世界的な経済復興による芸術熱も手伝い、ボナールは再び脚光を得ます。
作品「ヤシの木」1926年
この作品は、ル・ボスケを購入してまもない頃の作品です。
寒色と暖色の対比、曲線と直線の対比、遠近の対比が見事な作品です。
作品「ル・カネ景観」1927年
黄色のミモザの花が大変鮮やかで、目を奪います。
彩度が落とされた周辺の緑との対比で、余計に際立っていますが、違和感はありません。
こんな絵を描きたいものです。
作品「白い室内」1932年
この頃はル・ボスケに滞在しており、必然的に身の回りのモティーフを頻繁に取り上げています。
垂直線と斜めの線を使った構図が素晴らしいですね。
明るい白色の室内と屋外の夕暮れの対比も素敵です。
単純な絵だけに、巧みな配置と配色がなされているものと思われます。
こういうのはなかなか描けませんね。
最後に
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ボナールの作品は日本にも多く入ってきているようです。
私のように、どこかの美術館で出会えるかもしれませんね。お楽しみに!
下の絵はボナール最晩年の作品です。
海辺のウッドデッキを描いた大型作品(72✖️236cm)です。
是非とも実物を見たいものです。
ボナールは最晩年に次のように語っています。
「私の絵がビビ割れることなく生命を永らえることを望む。紀元2000年の若い画家たちの前に蝶の羽を使って舞い降りたいものだ。」
予言は当たり、今再び蘇りました。
この本を参考にさせていただきました。
もっと知りたいボナール 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) [ 高橋明也 ] 価格:2,200円 |
こんな風に、他のページでもいろんな画家を紹介しています。風景画家が多いです。
是非ともこちらを覗いてください。
Youtubeにも投稿
「風景画の旅」と言うテーマで、国内外の風景と自作絵画を動画にしてご紹介しています。
こちらもお立ち寄りください。お気に入りのモティーフが見つかるかも!