”奄美での田中一村”をご存知でしょうか?
50歳で中央画壇と一線を画して奄美大島へ移住、極貧の中で生涯独身を通し、ストイックに自分の画風を求めて制作し続けました。
そして奄美の自然を驚くほど鮮やかに描きとめました。
そんな画家の強烈な生き様と絵画をご紹介します。
”田中一村”の生涯と作品を辿る
私のおすすめ画家
私は、画家の生涯に大変興味があります。それを知ることが、画家の作品をより深く理解することになると思うからです。
まず一村の生涯から、作品の背景を探ってみます。
生涯の変遷 田中一村
1908年(明治41年)栃木県生まれ東京育ちです。
彫刻家の父から南画の指導を受け、幼少期すでに画才を発揮していました。
1926年(大正15年)東京美術学校(現:東京芸大・美術学部)に入学するも2ケ月で中退しています。その理由は不明です。
花の六年組と称され、同期には東山魁夷がいます。
その後は南画家として活動しますが、時代は日本画の新勢力が台頭していました。
南画とは分かりやすく言うと水墨画の一種です。当時の日本では時代遅れの画風になっていました。
1931年(昭和6年)に一村は南画と決別し、独自の日本画を模索し始めます。
1938年・30歳の時に千葉県千葉寺町に移住します。
その後も日展、院展などの公募展への出品を続けますが、一村の画風に対する評価が得られずに入選・落選を繰り返しています。
こんな偉大な画家でもそんなことがあるのですね。一村は、このような出来事から画壇への不信感を募らせています。審査の先生へ手紙を送り、落選理由を問いただすことさえありました。
1955年・47歳、新たな画風を求めて、九州、四国、紀州をスケッチ旅行しており、その際に亜熱帯の風土に魅せられます。
1958年(昭和33年)中央画壇と一線を画す決意をし、50歳で単身、亜熱帯の奄美に移住します。
奄美大島では、「大島紬の染色工場で働いて画材代や生活費を貯め、しばらく休職して絵を描く」という生活を繰り返しました。
そして、1977年(昭和52年)69歳で奄美にて没します。
一村は、奄美で制作した絵を展覧会などに出品していなかったので、一村が没するまでに作品が広く世に知られることはありませんでした。
1984年にNHK放送『日曜美術館』で取り上げられて、一村の素晴らしさが一気に世に知られることになります。
幼い頃から父の指導を受けて神童のように育った一村、青年期には十分すぎる自信とプライドがあったことでしょう。
それだけに、いわゆる濃い体質の画壇に対して反発心を持ったのではないでしょうか。
そして中央画壇を離れて奄美で20年あまり、どんな思いで絵を描き続けたのでしょう。
一村の日本画作品
一村は、幼い頃から才能を発揮し、奄美時代の以前にも多くの優れた作品を残していますが、特に奄美時代の絵が人気です。
一村は、50歳で奄美に移住し69歳で亡くなるまで、居住者ならではの目線と独特の鋭い感性で、奄美の自然を描き続けました。
一村の奄美時代の作品は次のように表されています。
- 鮮やかな色彩の中にも独特のモノトーン
- 力強く、繊細で静謐
- 古典的な日本画とは異なる和モダン
一村の奄美時代の作品
一村は、奄美で亜熱帯の植物や鳥、魚を入れた風景画をたくさん描いています。
アダンの実
黄色いアダンの実は一村を代表するモティーフです。
色とりどりの魚
一村のエピソードに「魚屋さんの店先で、毎日のように気にいった魚をスケッチした」というのがあります。
スケッチに長時間かかることもありましたが、お店の方は一村のスケッチが終わるまでその魚を売らないようにしたという逸話が残っています。🤗
色鮮やかな亜熱帯の鳥
一村は、アカショウビンという色鮮やかな亜熱帯の鳥がお気に入りであったようです。ハブのいる森で鳥が来るのを何時間も待ってスケッチしました。
一村の千葉時代の作品
千葉時代の作品もご紹介しておきます。
初入選作品「白い花」
一村は、この作品を戦後間もない1947年(39歳)に日本画の公募展・青龍社展に応募し、入選しています。
この作品が一村の初入選作品とされています。
ちょうどこの年に、『米邨』と名乗っていた号を『柳一村』に変えました。
すでに奄美時代の作品を伺える画風ですね。
落選作品「秋晴」
この作品は「白い花」の翌年に青龍社展へ応募した作品です。
同時に出品した「波」だけ入選し、この作品は落選でした。
絵の背景部分には当時大変高価であったであろう金箔がふんだんに使われており、また絵自体もかなり厚塗りになっています。
かなり気を入れて描いただけに一村の落胆は大きく、審査員に宛てて落選理由を問いただす手紙を書いたとされています。
この時には『柳一村』でなく、『田中一村』の号で出品しています。
参考書籍
楽天ブックスで売ってました
価格:3,960円 |
”田中一村”美術館
in 奄美大島
美術館は、奄美大島の奄美パーク内にあります。パークには奄美の亜熱帯植物が配置され、自然を楽しむことができます。また展示ホール『奄美の郷』では映像や展示物で奄美の自然、歴史、文化を知ることができます。
美術館は奄美の高倉をイメージしたおしゃれな建物です。一村の生活拠点別に、東京時代、千葉時代、奄美時代の作品約80点が展示されています。これらは年4回展示替えされます。
作品を観た後に、パーク内の植物や海岸の景色を眺めていると、一層それらの作品が愛おしく感じられました。
最後に
一村は、近隣との付き合いもなく寂しい暮らしをしていたように思われるかも知れませんが、決してそうではありません。
千葉でも奄美でも語り合える友人もいましたし、ご近所の助けもありました。
奄美のある家では、一村にお礼に描いてもらった、先祖の肖像画が大切に保管されています。
人間的にも、人々から愛される、大変魅力がある人であったようです。
ページ紹介
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Youtubeにも投稿
一村の奄美での暮らしぶりや絵画を知ってから、どうしても奄美大島へ行きたくなり、2度訪問しています。
その際に出会った素敵な風景を自作の4枚の絵画とともに動画にしています。
東洋のガラパゴスとも言われる奄美への旅のキッカケになれば幸いです。
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