台湾を旅して”九份、十分を絵に”しました。
台湾にはもう行かれましたか。
私は今回、絵のモティーフを探して台湾へ、そしてさまざまな場所を訪れました。
帰国後に最も台湾らしい九份と十分を絵にしました。
絵と共に九份・十分の素晴らしき景観と歴史をご紹介します。
台湾を旅して古き街並みを描く
台湾・九份、十分とは、そして私の作品
私は、個展にてあるご夫婦に作品・2点を買っていただきました。その際に、ご夫婦から「台湾の絵を描いて」と提案されました。
というのも、ご主人は長く台湾で勤務され、数年前に帰国された方。
奥様も折につけ台湾を訪問され、ご夫婦ともに台湾は非常に思い出深い場所とのことでした。
そこで、お礼の意味も込めて台湾を描くことにし、早速取材に出かけた次第です。
今回はご夫婦におすすめされた台北市内とその周辺を訪れました。
そして、とりあえず九份と十分の風景画を1点ずつ制作しました。
日本と台湾は深い結びつきのある国。
九份と十分の歴史も簡単にご紹介いたしますので、私が絵を描くに至った背景も伝われば幸いです。
九份とは
九份は、今や、世界中から年間数百万人が訪れる観光地です。
しかし九份は、40年ほど前には、お店が一軒もなく、人気がない、さびれた街でした。
九份の繁栄・没落・復活
九份では、1893年に金鉱山が開発されました。
当時は、金採掘で潤った5万人ほどの人々で街は大変賑わっていました。
映画館もあったとのこと。
いわゆるゴールドラッシュですね。
ただし労働は非常に過酷でした。労働者は狭い坑内で多量の粉塵を吸い込み、塵肺という病に苦しめられました。
繁栄下の明と暗ですね。
1971年に金脈が枯渇し、やむなく閉山となります。
その後、九份の街も急速にさびれ、老人と子供、そして犬と猫しかいない、モノクロの街と化していました。
ところが、あることを契機にこの町が再び注目されることになります。
それは1989年に公開された「非情城市」という映画によって持たらされました。
この映画がベネティア国際でグランプリを受賞したのです。
この映画は九份を舞台にしており、日本の統治が終わり台湾が形成されるまでの苦難の歴史を描いています。
この作品の大成功によって、九份は映画の聖地となりました。
華やかかりし頃の九份の街並みが多くの人々を惹きつけたのです。
それ以来、九份復活に向けて人々の努力が続けられ、現在に至っています。
ちなみに台湾は、日清戦争後の1895年から、第二次世界大戦後の1945年の間の50年間、日本の統治下にありました。
そのため、九份の建物には日本の様式が残されています。

現在も、一部の金鉱山跡が公開されています。
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九份の復活を決定付けた出来事
もう一つの映画が九份の復活を決定付けます。
それは、2001年に公開されたジブリ映画「千と千尋の神隠し」です。
この映画に登場する「提灯が灯る坂道、雑多な食堂街」などの幻想的な雰囲気は、九份がモデルとされています。
この映画は、アカデミー賞で長編アニメ映画賞を受賞し、世界的にヒットしたことはご存知の通りです。
私自身、この頃から九份を意識したように思います。
素晴らしい映画でしたね。私も何回も観ました。
私は「主人公の千が”カオナシ”と電車に乗って出かけるシーン」が最も好きです。
現在の九份
九份は標高300mほどにあり、斜面にへばりつくよう形成されています。
台北から車で1時間ほどで行けます。
写真で遠くに見えるのは東シナ海です。
夜景がとても綺麗ですが、こんなふうに昼間の景色も捨て難いので、できたら1泊されることをおすすめします。

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諸説ありますが、ここにある茶屋「阿妹茶樓」(写真・右)は、映画に登場する湯屋(油屋)のモデルと言われています。
この建物は茶芸館で、1920年代のものをリノベーションしたものです。
九份は、やっぱり夜が魅力です。
余談ですが、ここは年間300日も雨が降るそうですが、幸いにも私が訪れた日は晴れていました。
訪問される時には、必ず雨具をお持ちください。
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こんな絵を描きました
最も九份らしい場所・茶屋「阿妹茶樓」を描きました。
できるだけ煌びやかにすることで、逆に、隠された暗い部分を表現したいと思いました。
いかがでしょうか?
作品「台湾・九份の夜景」油彩画 F6号

額に入れてショップに展示・販売中です。こちらから詳しくご覧ください。
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十分とは
十分は日本統治時代に炭鉱の町として栄えていた町です。
1997年に閉山され、現在は、
坑口や炭鉱資料、石炭運搬列車を再現した新平渓煤鉱山園区として整備され、観光客が訪れています。
ここで誰もが訪れるのが十分駅。
十分駅は、炭鉱で賑わう1929年に、単線の平渓線の駅として開業されました。
現在でも1時間に上下線1本が運行されており、台北から列車で行くことも可能です。
乗り鉄にはたまらないでしょうね。
駅付近の線路沿いには飲食店・民芸品店など約140店が、線路スレスレに立ち並んでいます。
列車入線時の姿は極めてノスタルジックで、必見です。
ところで、毎年元宵節の日、十分では平渓天燈節が開催されます。
お祭りでは、1000個以上のランタンが一斉に夜空に放たれます。
台湾ではランタン(天燈)に願い事を書き、空に飛ばすと願いが叶うとされています。その風習を天燈上げと呼んでいます。
その光景は、大変幻想的であり、世界中から数万人の人々が訪れて鑑賞します。
一方普段は、十分駅がランタン上げに使われています。
列車のいない時間帯には駅付近の線路上への入場が許されており、そこからランタン上げを楽しむわけです。
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私は夜に訪問しました。
風が吹き、雨も降っていましたが、私も”幸福と画業成就”を願って、ご覧のようにランタンを上げてきました。^_^
ちょっと気恥ずかしかったです。
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こんな絵を描きました
子供が十分駅でランタンを上げている様子を絵にしました。
列車も入れて十分のイメージをできるだけ膨らませました。
作品「台湾・十分の夜景」油彩画 F4号

この作品もこちらでお求めいただけます。よかったら詳しくご覧ください。
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こんな風に描きました
私は、柔らかくて優しく、鮮やかな絵を描きたいと願っています。
そのため、こんな描き方をしています。
木製のパネルにミューグラウンドというペーストで下塗りします。
下塗りに綿布を挟んで下地を補強しています。
この下地は細密な絵を描くのに適しています。
その上に油彩で描いていますが、卵を使ったテンペラホワイトとの混合技法で描いています。
その分、柔らかいイメージに仕上げています。
また、発色の良い特殊な絵の具を使っているので、鮮やかに感じてもらえるはずです。
部分的にアルミ箔を散らして夜の反射光を表現しています。
最後に
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
いかがでしたか?
台湾に行きたくなりましたか?
台湾は親日的ですし、食事も美味しいし、見どころも多いです。
まだの方には是非ともおすすめします。
ところで実は、十分には帰国前日の夜に訪問しました。
その頃には大型台風が台北に近づきつつあり、翌日のフライトを気にしながらのバスツアーとなりました。
ホテルに戻ると同時に航空会社からのメールあり!
台風接近を考慮し、「飛行機の便が午後便から午前便に変更」との連絡。
これでなんとか帰れるとホッとしたものです。
実際、午後から多くの便が中止されたようです。
10月下旬でしたので、台風はもうこうないかなと思っていたのですが、甘かったです。
これも旅ですね。お気をつけください。
他にもこんな風に「私の風景画の旅」ついて取り上げています。
こちらからご覧ください。
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