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油彩で花と街の風景を描いています

”ハマスホイはこんな画家”徹底的に削ぎ落とした美しさとは!

"ハマスホイはこんな画家”

“ハマスホイはこんな画家”と題し、彼の生涯と作品を見つめました。

ハマスホイをご存知ですか。

「北欧のフェルメール」と呼ばれる画家で、室内画が有名です。

その静謐な室内画は、再び現代の人々の心を惹きつけています。

今日、絶対に見逃せない画家の一人です。

作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」

国立西洋美術館の所蔵作品です。この一点を常設展で見かけました。

「北欧のフェルメール」ハマスホイを知る

ヴィルヘルム・ハマスホイ 1864/5/15〜1916/2/13(51歳没)

ハマスホイは、19世紀末から20世紀初頭に活躍したデンマークの画家です。

没後に忘れ去られた画家の一人でした。

というのも、20世紀初頭のパリは、すでにミュシャを代表とするアール・ヌーボーの時代を迎えていました。その後も、ピカソで有名なフォービズムやキュービズムの時代に、さらにダリに代表されるシュールレアリズムへと移っていきました。

1970年代に入ると、抽象表現主義が美術界の主流になっていきました。

そのため、世の中から写実的な作品の良さが置き去りにされていたようです。

近年になって、理解困難な抽象画が影を潜めたため、あらためてハマスホイのような作品が評価され出してきたようです。

また、20世紀初頭・第一次世界大戦前と似たような現在の時代背景も起因しているように感じています。

ハマスホイが生きた時代

同世代のルドンのページでも書きましたが、

19世紀後半のヨーロッパは、科学技術の進歩によって、人々の生活が大きく変化した時代です。当時は物質主義や享楽的な都市生活がもてはやされていました。

そんな風潮に応えたのが印象派でした。印象派は1870年代から1880年代に最盛期を迎えます。

しかし、一部の芸術家たちは華やかな風潮に反発し、象徴派(象徴主義運動)へと移行していきます。

印象派の芸術家たちは目に見えるものを忠実に画面に写し取ろうとしたのに対し、象徴派の芸術家たちは、目に見えないもの、人間の内面に目を向けました。

ハマスホイも初期には両派に影響を受けた作品を描いていました。

しかし、ハマスホイはパリで友人と共にこれらの展覧会を観た後に、両主義に対して辛辣な言葉を投げかけています。

「ちょうど今、ここ(パリ)では屑鉄のような作品ばかり集められた印象主義と象徴主義の小さな展覧会が開催されています。僕はこの展覧会が象徴主義者たちのとって失敗に終わってほしいと願っています。」

ハマスホイは当時のフランス芸術から影響を受けることを畏れ、美術館で過去の作品から学ぶことを選びました。

初期の頃は、ルーブル美術館で古代ギリシャ彫刻のレリーフの模写を行っていました。

ハマスホイが手本としたのは、シャヴァンヌとホイッスラーの二人だけであったとされています。

ホイッスラー作品

"ハマスホイはこんな画家”
手本にしたホイッスラー作品
"ハマスホイはこんな画家”
手本にしたホイッスラー作品

一口メモ

ハマスホイはしばしば写真を使用して作品を描いたと言われています。

ムンクもそうであったようにこの時代には珍しいことではなかったようです。

 

ハマスホイの経歴
ー国際的評価を得るまで

1864年5月;デンマークの首都・コペンハーゲンの商家に次男として生まれました

幼い頃から素描の才能があり、8歳にして定期的に素描の授業を受け始めます

1869年(15歳);コペンハーゲン王立美術アカデミーに入学

この時、同時に画塾にも通っており、画塾の先生がハマスホイについて次のように表現しています。
「ほとんど奇妙な絵ばかり描く生徒が一人いる。私は彼のことを理解できないが、彼が重要な画家になるであろうことはわかっている。彼に影響を与えないように気をつけることにしよう。」

1884年(20歳);アカデミーを卒業

1885年(21歳);王立美術アカデミーの春季展に出品

しかしこの春季展で落選しています。ハマスホイの特徴である、抑えられた色調や自由な筆使い、遠近が不明瞭な構図などはアカデミーの理念と合わずに、審査員の不況を買うことになりました。

この後もしばらくアカデミーに受け入れられず、ハマスホイの絵は議論を呼んでいたようです。

1888年(24歳);作品「縫い物をする少女」をアカデミー展に出品しますが、展示を拒まれます やむなく、ハマスホイと同様に拒絶された画家と落選展を開催します

1889年(25歳);パリ万博で「縫い物をする少女」が銅メダルを獲得、これ以降評価が高まっていきます

作品「縫い物をする少女」

この作品は、フェルメールの『レースを編む女』を手本とした作品です

"ハマスホイはこんな画家”
作品「縫い物をする少女」

ハマスホイは初期に、2歳年下の妹アナをモデルとして繰り返し描いています

知性的な女性ですね

"ハマスホイはこんな画家”
作品「若い女性の肖像」

1891年(27歳);学友の妹イーダと結婚します

1903年(37歳);ヴェネティア・ビエンナーレに「縫い物をする少女」が出品され、国際的な評価が高まります

ハマスホイ作品の特徴

ハマスホイの作風は初期から一貫しています。

最初から完成された画家と言えるでしょう。

その画風は次のようなものと言われています。

  • ぼやけた色彩
  • 線的構成の乏しい構図
  • 後ろ姿の人物像

また、ハマスホイの絵はモノクロに近い、色の制限された作品ばかりです。これについては、次の言葉でよく理解できると思います。

「なぜ私が少ない色で、しかも抑えられた色調を使うかって?それは私もわからない。この問題について何か答えるというのは、私には本当に不可能だ。それは私には全く普通のことなので、なぜか、という問いには何も答えられない。しかし、私が初めて展示したとき以来、いずれにせよそうなんだ。おそらく、私の使う色は、ニュートラルとか制限された色彩とか呼ぶことができるかもしれない。私は真にそう思うのだけど、絵というものは色が少なければ少ないほど色彩的な意味に置いて最高の効果を持つのではないか。」

色のない絵に、観る人の感性で色を感じてもらう。そうして絵に引き込んで行く。

ハマスホイはそんな考えを持っていたのでは。

ハマスホイの風景画

ハマスホイがモチィーフに選んだのは次のような風景です。

  • 誰もいない風景や人気のない街の光景
  • 殺風景な静寂が支配するコペンハーゲンの中心街や開発された公園など
  • 実際は交通量の多い幹線道路を人通りのない並木道として
  • 空き家となって打ち捨てられた無人の農家

興味を惹かれるモティーフですね。

まるで「できるだけ描かないようにするから、観る人が自由にドラマを描き足して」といっているようです。

"ハマスホイはこんな画家”
作品「雪のクレスチャンスボー宮殿」
"ハマスホイはこんな画家”
作品「ゲントフテ湖、天気雨」

ハマスホイの室内画作品

1898年(34歳)にハマスホイ夫妻が、コペンハーゲンに移り住みます。

この部屋で描いた室内画作品群が彼の芸術家としての価値を決定づけることになります。

室内画の多くが、イーダが背中を向けている作品です。

そこは極限まで家具を取り去った非現実的な空間であり、また、イーダの動きははっきりとせず時間が止まったようにも見えます。

贅沢な調度品も一切なく、ハマスホイの絵では女性は絵に華やかさを与える要素ではありません。

画中の人物を肖像画でなく後ろ姿にして、顔の印象や感情をつかめないようにすると共に、家具などもできるだけ省くことで、観る人が自分を画中人物に投影できるようにする企みを感じます。

作品「イーダのいる風景」

"ハマスホイはこんな画家”
作品「イーダのいる風景」

作品「陽光、あるいは陽光に舞う塵」

ハマスホイはついに、イーダの姿を室内から姿を消し、家具までも取り除いてしまいます。

人物は描かれておらず、明るい光が窓から暗く寂しい空虚な室内に差し込むだけの作品です。

"ハマスホイはこんな画家”
作品「陽光、あるいは陽光に舞う塵」

ハマスホイが生きた時代は、世界恐慌から第一次世界対戦へと向かう混沌とした時代です。

繁栄→狂乱→混沌と激しく変化する中で、彼の絵はまるで世界に背を向けたようなものでした。

ハマスホイはこんなふうに語っています。

「もしすべての<くず>を捨てることができたら、アパートの部屋はとても良くなるであろう」

"ハマスホイはこんな画家”

ハマスホイの評価

同世代の2人のコメントを見つけましたので、ご紹介します。

ユリウス・エリアス

「彼の過敏すぎるほどの神経質な生活、繊細すぎる感受性は極度の簡潔さと沈黙のこの世界でのみ開花した。彼はただ響のみを愛し、静寂の響きを探していた。彼は静寂を聞き、その静寂の中にこそ彼の本当の存在があった。」

ロンドンのピアニスト レナード・ポーウィックの言葉

「彼はまずなによりも詩人なのである。光の詩人、あるいは静けさの、家庭の、道や建物の詩人であり、ーーーー。ありふれたものの日常生活における新しいハーモニーと生命、そして我々すべての親密な経験を扱っているのだ」

最後に

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

ハマスホイは室内画を描くことに関して、こんな思いを語っています。

「室内画を描くことに飽きるだろうというが、私もこれを続けていくことが自分に合っているとは思っていない

私は、喜んで室内画から逃げ出したい

建築画や、私の興味をひいてくれる人物画いれば、その肖像画を描いてみたい

肖像画はよく知っている人物でなくてはならない

その意味で、知らない人がきて自分の肖像画を注文するような肖像画は描きたくない

それに何の興味もない。肖像画を描くためには、まず、その人をよく知りたいのだ」

室内画から逃げ出したいとは、驚きですね。

悩みながらも、心を掻き立てるあらたなモティーフを求め続ける、そんなハマスホイの姿が読み取れます。

ハマスホイに刺激されて、現在私も室内画を1点描いています。

この本を参考にさせていただきました。

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こんな風に、他のページでもいろんな画家を紹介しています。風景画家が多いです。

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第二の人生に入り、軽い仕事をしながら、風景画を描いて過ごしています。現役の時に絵画を始めてから早10年以上になります。シニアや予備軍の方々に絵画の楽しみを知っていただき、人生の楽しみを共有できればとブログを始めました。